「おお、そなたが勇者か」
そう問われたって、どう答えれば良いんだろう。出来ればそんなわけねえだろとか言って怒鳴ってやりたい。
玉座の前に敷かれたワインレッドの絨毯に跪きながら、アレックは心の中で愚痴っていた。
絨毯の右隣には貴族、左隣には旅への同伴を希望したという人々。
「そんなに硬くならず、面を上げよ」
硬くならずにいられるわけは無いと言うのに、イメージ通りのしゃべり方の見かけは只のおっさんが似合わないマントと王冠を被ってそんな事を言ってくるので、とりあえず上を向く事にした。
「さて、ではそなたに、古よりの慣習に従って激励の言葉を贈る」
そう言われてもどう言えば良いのか分からないので、とりあえず黙っていると、隣で跪いている宰相補佐がその答えを小声で教えてくれた。
「有り難き幸せに存じます」
存じねえよ、巫山戯んじゃねえ。本当はそう言いたかったが、いったら速攻で殺されるだろう。権力とはかくも身勝手なものである。
そう思いながらも、昔試しに通った事のある学校の校長の話に酷く似通った王の話を聞き流す。
二十分程の時間が、アレックには一時間にも感じられたが、とにかくその長い話は終わった。
「……では、そなたの旅の同伴者を選ぶがいい」
そう王が告げた。
とりあえず、左を向く。選ぶにしてもここですぐ選べるわけないだろう、と内心呟いていると、一人の青年が前に出てきて声を上げた。
「アレックー! これどういう事なんだよ!
お前に会おうとしたらこんな所に連れてこられたんだけど!」
「ヴィ、ヴィブラート!?」
幼なじみのヴィブラートだった。アレックが選ばれたときはあんなに真っ青だった顔が嘘の様に王の前でもリラックスした様子で堂々としている。
「まあいいや、とりあえずうちのヴィステラ貸してやる!
どうせそうする積もりだったんだろ?」
あたりの目も憚らず叫ぶ。
「有り難う!」
ヴィステラ。彼女さえいれば移動がぐっと楽になる、とアレックは自然笑顔になった。
その時、ヴィブラートの後ろの人混みがざわめいて二つに分かれた。
「ん?」
あっけらかんとした表情で後ろを向いたヴィブラートに、その人混みの間から現れた、騎士の姿をしたいい歳してるであろうおっさんが、厳しい面持ちで問いかける。
「なんなのだ、お前は!?」
「アレックの幼なじみ、ヴィブラート=シェイダ。
アレックに足を提供しに来たんだよ。出来れば付いていきたい」
「……我が名はアルフェルス=ティルト。禁軍の一個小隊を任されている。
実力の程を考えず、私事で勇者に付いていくなど、礼儀に反する事であろう!」
「でも、俺結構強いし」
あっさりと言ってのけたヴィブラートは、つんつんと自らの腰に下がった、割と装飾の良い細身の剣を突く。
アルフェルスの後ろの群衆から非難の声が上がった。それを見守るアレックに、大丈夫なのかあの青年は、と宰相補佐が小声で話し掛けてくる。
「大丈夫。あいつ、強いよ。それに喩え井の中の蛙だろうと、大海を知った方が良いかも知れない」
「大海って…でかすぎだろ、それにしても。いくら町一番の剣の名手とはいえ、禁軍の者に勝てるはずがないだろう?」
そんな宰相補佐の言葉を聞いても、アレックは動じず静かに成り行きを眺めている。
「でも、庇ってもどうにもならないでしょ。俺は畑仕事でしか鍛えられてないんだし。剣を抜かれたら敵わない」
貴様、と大喝の後、アルフェルスは剣を抜こうとし、その前にヴィブラートの右手の指を二本、喉に当てられて絶句した。
群衆が一瞬で静まりかえる。
ヴィブラートは静かに、
「実力の程か。おっさんこそ考えな」
そう言って右手を引いた。
「ほら、強い」
アレックは驚いた顔の宰相補佐に、こともなげにそう告げる。
なにせ、ヴィブラートの家の職業は常に戦いの危険と隣り合わせ。戦う相手が人でない事もしばしば。都の、訓練に励むばかりの騎士とは生活自体違うのである。
「ヴィ、ヴィステラとは、なんなのだ」
捨てゼリフの代わりの問いに、にこりとヴィブラートが笑う。
「竜だよ。俺の可愛いドラゴン。竜を使った運送・護衛、それがウチの家業だ」
ざわり、と群衆が動く。
「その必要は無い」
静かに、よく通る落ち着いた声が聞こえた。
「竜騎士だ」
誰かが呟いた。
また先ほどと同じように人混みが割れる。
そこからまた、緑の鎧に身を包んだ、茶髪碧眼の今度はいかにも頭の切れそうな青年が現れた。
「ドラゴンは我々で用意させていただく。ヴィブラート、といったな。お前が付いていくのは誰も構わんだろうが、竜は我らの者を使って貰う事になっている」
「へえ。・・・あんたらの竜ってそんな凄いのか?」
「そう自負している」
「でも一応、もう一匹ぐらいいたって良いだろうよ」
「いかん」
意外な所から声が聞こえた。
皆が一斉に玉座を振り向くと、王は告げた。
「いかん。縁起が悪い」
縁起とは、また何古くさい事言ってんだ馬鹿ジジイ、という言葉は胸にしまって、アレックはそれに耳を傾ける事にした。
「ヴィブラート。その名は遙か昔、我が国に反旗を翻して討たれた王族の名。そしてまた、ヴィステラとはその若干齢三歳の幼子を護っていたドラゴンの名。
名には力が宿るという。そなた達がその名である事は、則ち我が国にとって不幸の証である事である」
「知ってるよそれなら。
で、何? 俺がもしかしてその血を引いているとでも?
そんな事あるわけないだろ。王様の先祖が根絶やしにしたんだから。俺はただ親友の助けになりたいだけだ。
五百年も前の事でぐだぐだ言われたくはないよ」
ピシャリと王に物怖じせず言い返すヴィブラート。なまじ正論なだけに、王も気圧されて、しかに何か言おうと口を開いたり閉じたりする。
「それとも……もしかして王様、貴方、力も何もない、貴族でもない奴を選んで、最初っから見殺しにする気だったんじゃないよなあ。
で、アレックが死んだ後に悲しんだ振りして、敵討ちだとかいって軍隊出して、ルシファード大陸までの道程の国をどさくさ紛れに征服しよう、とかとんでもない事考えてたんじゃないよな」
「口を慎め!」
宰相が叫ぶ。
だが、その言葉に、はっと王の目が見開かれ、そして口が閉じた。顔は青ざめ、右手は心の臓を掴んでいる。
それだけで、誰の目にも分かった。なんとまあわかりやすい図星の突かれ方であろうか。
アレックの頭に静かに血が上る。巫山戯るんじゃないと叫んでやりたかった。
もう理性の糸もすべて切れそうだったが、宰相補佐が立ち上がりかけたアレックを止めた。
「まて。お前の代わりにあいつが怒る」
あいつって誰だよ。あの馬鹿王を殴らせろ、と言い返そうとした時だった。
どすんと鈍い音がして、アレックの後ろから投げられた、綺麗な装飾を施された、しかしよく切れそうな槍が王の顔すれすれに、玉座、しかもそこに座っている王の右に刺さった。恐ろしいほど正確な投擲である。あと手一つ分も左に刺さっていれば、王は確実にお陀仏だ。
「え?」
後ろを向くと、謁見場の扉が開いた所に、18,19程の少女が仁王立ちしていた。
綺麗なブロンドのショートカット。活発そうな整った目鼻立ちに、薄紅色の唇。そして強い光を放つ、鮮やかな紫の瞳。
「今の話は本当?」
鋭く、よく通る高めの流麗な声がその唇から発せられる。その声は一応穏やかなものの、顔は般若の如く怒り狂っているのが少し遠めの位置にいるアレックにも分かった。
「本当だろうよ、エルシア」
打って変わって冷静な様子で宰相補佐が答える。
「そうよね。父さん、冷や汗流してるし」
地の底から響くような声で少女が頷いた。しかし王の汗はおそらく彼女が投げた槍によるものである。
(ん? 父さん?)
アレックが疑問に思う間にも、少女はつかつかとアレックと宰相補佐の横を通り過ぎる。
宰相補佐が明後日の方向を向いて、あのアレックに見せた虚しそうな目をしながら少女に、半ば独り言のように言う。
「一応聞いとくけど、俺が止めてもお前、聞かないよな」
「勿論」
気持ち良いくらいの即答の後、少女は王の隣の宰相の声も無視し、王の胸ぐらをがしっと掴む。
「何やってるんだこの馬鹿親父ー!」
ドスの思い切り効いた、さっきまでの静かな声とは違う荒っぽい声。
(やっぱり王女様だ!) アレックは確信した。
エルシア=スファード。サイアスの国民の目の前には滅多に姿を見せない、第二王女である。
一時は死亡説も囁かれたそうだが、父の胸ぐらを掴んで、容赦なく平手打ちを浴びせまくる彼女の姿を見れば、そのわけは一目瞭然だった。いわゆる、対面的に世には出せない無敵のお転婆姫というやつだったわけである。
「身分が違おうが何だろうが、彼らだって私達と同じ人間なのよ! なのに何でそんな事思えるのよ父さんは!!」
「仕方ないんじゃねぇの? 王族なんて昔からちやほやされて育った奴らばっかだし。
お前みたいなのはそうそういないって」
「黙ってなさい、フェイダ!」
今度は王の横の槍を折りながらエルシアが叫ぶ。
「えー、でもさあ、流石に家庭内暴力の域に入ってるぞそれ」
「後で手当てして貰えばいいでしょ!」
さらにぱんぱんと王を平手打ちし始める王女に、大きくフェイダはため息をつき、
「……そこまでやると支障が出る。娘が父を必要以上にけなすんじゃない。止めろ」
そのドスのきいた言葉にエルシアがぴたりと止まり、やっと平手打ちをやめて王の顔を見る。見事に腫れてはいたが、手加減されていたのだろう、まだましな方だった。
しかし、宰相の制止も効かず続けられたこの暴力の嵐を、一瞬にして止めてしまった宰相補佐とは、一体何者なのだろう。
「幼なじみなんだよ、俺とエルシア」
そんなアレックの表情を見て取って宰相補佐がこともなげに答える。先程部屋で見た、少し頼りなさそうな雰囲気が嘘のように飄々としているのがアレックには納得出来た。多分、エルシア姫と幼なじみであったからには、そういう風にならなかればやっていけなかったのだろう。
活発な姫様には、暴れ馬の手綱のような役割を背負う者が必要だったのだ。そしてまさに今飄々と、手綱としての力を存分に発揮している。
「エルシア、いや、これには深いわけがだな」
平手打ちから解放された王がエルシアに言い訳をしようとするが、エルシアは聞く耳を持たない。
「まあ、これで口実が出来たわ。
父さま、私も旅に付いていきます」
「つーことは俺もか?」
「何当たり前の事言ってるの」
その言葉に何も答えず、背中にそこはかとなく哀愁を漂わせてため息をつく宰相補佐、フェイダ。
可哀相だ。自分が選ばれても選ばれなくっても、フェイダは旅に付いていく羽目になったのだろう。じゃじゃ馬と手綱はセットなのである。アレックは少なからず同情を覚えた。
なんて遠くを見つめている間に、王女の動向に対する驚きの声が謁見場を揺るがした。
それを余所に、幼なじみって、良いのか悪いのか分からないな、とアレックはエルシアとフェイダを見比べて感心していた。
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