こつん、という靴の音と共に。
真はベランダに着地した。
「凄いな真。マンガの主人公みたいだ」
「そんな事言ってる場合じゃないだろ」
「お前がそのままなら」
ベランダに通じる窓を開けて、にっ、と隆敏が部屋の中から笑いかけてくる。
「……あのなぁ!」
真の強烈な剣幕と恫喝。
けれど、それにも隆敏は怯まなかった。
「害はないよ。本当だ。
それより、何か飲む?」
ひょうひょうとした様子で氷の入った水入りのグラスを勧めてくる。
「……何で水?」
「酒は飲めない。牛乳は朝。茶は淹れてない。よって水。
いいだろ別に」
「……貧乏だなあお前」
「紀子養ってるし」
その一言で、はっと空気が緊張する。
「……隆敏」
「嫌だよ。紀子を祓うなんて」
当然だろ、と世間話をするような、なんでもない顔で隆敏が言う。
「いやだ、って! お前の身に危害が及ぶかも知れないんだぞ!」
叫ぶように言って部屋の中に乗り込むと、すっ、と隆敏は立ち上がり、真の前を塞ぐ。
そして水の入ったコップを振って音を立て、
「危害は及ばないよ。飲む?」
「だから! 飲まないし、俺は」
「祓ったら一生、許さないから」
笑顔で隆敏が言い放つ。
いつも真に向ける笑顔とは同質のようで全く違う笑顔で。
「なあ真。止めてくれるよな」
目が笑っていないとか、そういうのではなく、どこか悟りきった瞳で、笑顔で、隆敏はそう言う。
居直り強盗よりも堂々と、手のグラスの水よりもすっきりと。
やばい、と思った。
隆敏は黙っている真から目をそらさずに床に座り込む。
「そうしないと、本当に一生許さない」
座る隆敏。口を開いて出てくるのは、真達の意思を否定する言葉。
あの時と同じだ。玲奈との仲がばれて、隆敏に後ろめたくて、だから別れようとした時と。
―――二人が別れたら一生、許さないから。
そういって、隆敏は抗議団体の座り込みよろしく動かなかった。
結果、真と玲奈は付き合う事になって、隆敏はその友人のままという結果になったけれど。
それからとそれまでの経験で実感している事がある。
こうなった隆敏はてこでも動かない。
普段は普通の青年で、もちろん祓い屋関係になど縁のない、比較的温厚で思いやりがあるが、意外にはしゃぎ屋だったりする、愛すべき性格の隆敏。
けれど、本当に自分の主張を通さなければならないという時、必死が必死さを極めた時、いきなり揺れなくなった湖面のような、度胸の据わりきった態度になる。
全てを悟ったような態度で、瞳で、その静まりかえっている心で、相手を圧倒し、その主張を押し通す。
分かるよな、と。
俺は本当に本気で真剣なんだからな、と。
「真。……飲む?」
隆敏がまたグラスを揺らす。
真はため息をついた。
こうなった隆敏を説得する事は、真でも、ましてや玲奈でさえも無理だという事を、長年の付き合いでよく知っている。
残された選択肢は一つ。
「……美味いんだろうな、それ」
諦めるしか、ない。
膝をついて、手を伸ばす。
「さあ、保証は出来ないけど、冷たさでごまかせよ」
にっ、と隆敏がいつもの笑顔を浮かべる。
隆敏は本当にあの少女が大切なのだろう。
そうでなければ、あの笑顔を浮かべるわけがないのだ。
玲奈と真、大切な親友を失いたくなかったから、必死だったんだ、と真が別れ話を取り消した後に言っていたのだから、少なくとも友人程には大切に思っているのだろう。
「……お前には本当、叶わねえよ」
おそらくは、同居生活で情が移っただけだろうに。
自分を害するかも知れないのに。
それでも紀子にかける情は、深い。
そんな隆敏だからこそ、親友になったのだろうなと、真は何度目かの『改めての実感』に心を浸す。
「えー、それでもさあ」
必死だったんだよ。
隆敏はそう言って苦笑し、グラスの水を飲み干した。
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