「私と付き合いなさい!」
朝一番、顔を真っ赤にしての宣言に、ルーフェルは目を丸くした。
昨日、フィンの表情に、確かな手応えを感じはした。
赤く染まった頬。震える腕。艶めいた声。それはまざまざと思い出せる。
そして、『私と付き合いなさい』。彼女らしいと言えば彼女らしいが、いきなり過ぎないだろうか。
「……ええっと」
「はっきりしなさい!」
はっきりしなさい、と言われても。
言う言葉は決まっている。イエスだ。勿論。ついで言うとルーフェルの心の中は今まさにお花畑へ直行しようとしている。
でも、返事を言う時の恥じらいとか、ルーフェルにだってやっぱりある。
だのに。
ぎろり、と、フィンが睨みで返事を要求してくるのである。
さすがは貴族というべきか、迫力が半端ではない。
喉の奥に出かかっている言葉を押し出すのに、それでも数秒かかった。
「……はい。付き合いましょう」
にこ、とルーフェルは笑う。本当のところ、心臓がばくばく言って、まともに思考も回らないが、それはうまく隠した。
「よし!」
フィンが機嫌よさげな声を上げる。
そこで、ふとルーフェルは思いついた。
「……で」
「え?」
「どこに行くんですか? どこに行くんでも付き合いますよ」

殴られた。

 ***

「いやあ、痛い痛い」
「満面の笑みで言われても説得力がないぞ」
図書室の来訪時期が不定期ではあるが常連である、レコン=ブラックがため息をつき、ビニール袋に入れた氷をドン、とカウンターに置く。
「全く。お前という奴は。
 で? 好きな女を落としたんだろう。なんでそんな手形が付いているんだ」
「あれ、氷持ってきてくれたのに、何も知らないんだ」
「まあな。ヴァトーの話を立ち聞きしただけだ」
今でこそ騎士団に入っているレコン=ブラックであるが、元はルーフェルの友人ヴァトーが経営する万屋の会計であり、その関係での付き合いだ。
ルーフェルと対等にやり合う事が出来る数少ない者たちの一人であり、もちろんルーフェルが腹黒である事も知っているのである。
だがそうであっても流石に怪我の事は心配してくれたらしい。
「んー、ちょっとイタズラ心が働いて。
 ところで、ヴァトーとは何も話さなかったんだ?」
「ああ。面倒くさいし、職務中だった」
「ふーん」
氷を頬に当てると、ひんやりと熱が冷めていく。痛いような、気持ちいいような感触。
「冷たいねえ、そういう所」
「知らん。特に面白味もなさそうだし、職務が最優先だ」
「……それでも、懐かしいね」
「懐かしいといえばそうだが、特にそれほど感慨もないな」
琥珀の瞳を僅かに細め、レコンはすっぱりと言い放つ。
こういう所が謎な男だ。いくら腹黒でもルーフェルだって、ヴァトーがいれば一応声をかけ、話をする。
職務といっても、エリックザラット第一王子の護衛である。王子はヴァトーに話しかけたぐらいで怒るような、器の小さい男ではない。
なのに、話さない。
一見すると、興味も感情も、ひどくないように思われる。
しかしその一方でちゃんと友人関係は成り立つし、慕われるし、人情的な面も見せる。
要するに、自分にとって興味があったり、重要である者以外、ひどく気まぐれであるようなのだ。
『騎士団入団試験までの間のつなぎで働いていた所の経営者』。彼の中ではそれだけなのだろう。
そう、それだけ。それ以上でもそれ以下の価値も、レコンにとっては全くない。
「それで、今日は何を借りてくんだい? 確か十二番目の棚は制覇したよね」
「ああ。だが世の中良書と悪書というものがあるからな。
 というわけで良い本を紹介するがいい、色ボケ男よ」
自信満々な態度での、明らかに上目線の言葉。だが、妙にむかつく事もない。
生まれついての王者とでもいうのだろうか。本当に変な雰囲気の奴だとルーフェルは思う。
「うーん。『暗黒と沈黙』なんてどうだい。新解釈に詳細な資料の分析を加えての、あの英雄にして殺人鬼・ヴァランシンを題材にした小説」
「ふむ。それと他に三冊程読みたい」
「サルグ出版『ヴィマンチェ建築の基本』、ゴルディア出版『付加魔法リスト第八版』、レティシア=ヴァーラ『旋回』」
分野も内容もバラバラだが、ルーフェル自身好みの本を言って、書名を手近なメモに書き出し、棚を教える。
よし、とメモを読んで満足げに頷くと、さっさとその腫れを引かせろよ、と言って、レコンは立ち去った。
(あの男は一体、どんな奴と恋愛するんだろう。きっと想像もつかないような人なんだろうな)
ルーフェルは腫れた頬に手を当てた。


そして、いつもの馴染みの、不機嫌な顔。
「あら、腫れたのね」
「誰の所為でしょう」
「お前のせいよ」
「……ええ」
頷いて笑ってみると、またフィンの顔が真っ赤に染まる。
どうやら相当惚れられたらしい、と更に頬が緩む。
「何をにやにやしているの……!」
声を押し殺しながらも怒るフィンが、また愛らしい。
「……好きですよ」
「………え?」
「僕と付き合いましょうね、だから」
「………」
まだ完全にルーフェルの一言の意味が飲み込めていない様子で、フィンはがたりと椅子に座る。
一秒。二秒。三秒。
「えっっっっ……!!」
いきなりフィンの顔が紅潮し、その口から鳥の鳴くような声。
やっと認識したか。
ルーフェルは思わず緩んでしまう頬をひくつかせながら、手元にあった資料の本を開く。
「い、今、今何て……!?」
「聞いてたでしょー」
くつくつくつ、と喉で笑いながら、本に目をやって読んでいるふりをする。
ぎゃあぎゃあと、図書室でもあるにも関わらず、声を上げる『恋人』に、わざと静かに声をかけた。
「図書室では静かに。他のお客さんもいらっしゃるのだし」
「………っ!」
更に赤くなるけれど、それでもちゃんと黙る彼女が愛しくて、更に頬が緩む。
「じゃ、俺の勤務が終わるまでこの本でも読んでて下さい。
 面白いやつでね。予約一杯かかってたんで、自分で買ったんです」
ぽん、と本を渡し、近くの机へと導く。
そしてルーフェル自身はカウンターの中に戻り、資料の本を開く。
真っ赤な顔をして本を開くフィンの顔を視界の隅にとらえる。
(可愛いなあ)
そう、ルーフェルは思う。
なんだか、とても幸せだった。

窓から差し込む光。
知識を湛えた本。
そして、愛する彼女。
その中で、いつまでも佇んでいたくなる。
そんな幸せをかみしめながら。
いつまでも本を読んでいたい。
そう心から、思うのだ。

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