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ある日、フィンが図書室に入ると、なんだかとても――もちろんいつも静かではあるのだが――図書室が静まり返っていた。
図書室に本を借りに来ている人々は皆一様に静かだ。それはいつもと変わりない。
しかしどこか違う。
(――職員の人たち、かしら……)
フィンは首をかしげる。
職員の立てる物音が少ない。心なしか動作もゆっくりしていて、まるで綿に包まれたかのようだ。
どうして、と思いながら、いつもの場所に行くと、そこの様子もいつもと違っていた。
いつもフィンが座る、ルーフェルが担当するカウンターの前の椅子。そこに先客が静かに座り、フィンの方を見ている。
「……どうも」
いつもの王子の隣にいて所属する隊の騎士たちと話している時の印象とはずいぶん違った様子の落ち着いた雰囲気を身にまとう、可愛らしい顔の女性がぺこりと頭を下げ、ぼそりと言う。
「珍しいわ」
ね、と続けようとしたところで、立ち上がったその女騎士は人差し指を唇にあて、静かにするように、と視線で告げる。
そして、フィンの視線を誘うように横に動いた赤銅の瞳の先を目で追うと、ルーフェルがやはりそこに座っていた。
だが、いつもとは違う点が一つあった。ルーフェルが眠っていたのである。
それはすやすやと、穏やかな寝息を立てて。
ああだから職員が静かにしていたのか、とフィンは納得する。皆ルーフェルを起こさないようにしていたのだ。
「ボクの目的は、済みました」
いつものきゃあきゃあという高い声とは違う、低めのよく通る、それでいて静かな声でまた女騎士が告げて、片手に持った辞書並の太さの、かつ題名もよく分からないがおそらくは理系の書籍であろうと思われる本を示す。かなり重そうだが特に辛そうでもなく軽々と持っているところが、流石かの十三番隊の騎士といったところか。
「どうぞ。ここは貴方の席だ」
そう言いながらにこりと可愛いけれどどこか中性的な顔に微笑まれ、どうにも妙な心地になる。
「別に私の席というわけではないわ」
「いいえ。貴方の指定席ですよ。――ボクが相談を持ちかけてる間も貴方を待っているようでした」
そう言ってルーフェルに無関心な瞳が向く。その瞳は淡々としていて、特に知り合い以上の感情を映してはいなかった。どうやら言っていることもすべて事実のようだ
す、とその視線がスライドしてフィンへと向けられる。淡々とした眼光。まっすぐな瞳に静かに見据えられ、フィンは一歩後ずさる。
「それじゃあ。時々は殿下の話し相手になってあげてくださいね」
「え……」
「お友達なんでしょう?」
にこっ、といつもの笑顔を浮かべ、女騎士は貸出カウンターへと去って行った。

****

『お前、それでいいの』
――それでいいの、って何。
『ここで暮らす、とか、別にあっちもこっちも一緒、とか。
 それでいいの』
せっかくあっちに暮らしてるのに。
仕事が終わったら大手を振って帰れるのに。
それでいいの、とその静かな、しかしその静寂のうちに揺らぎない何かを秘めた瞳で、「彼」は自分に尋ねる。
『たかが家族の問題でしょう。
 なら戻った方がいい』
――分かってるよ。戻るしかないんだしね。一瞬憧れただけだよ。
『そう。それならいい』
憧れるなんて不謹慎、と知ったように言うでもなく、まっすぐに見つめてくる瞳。
――それとさ。たかが家族の問題っていうけど、それなりに大変なんだよ?
『………』
知ってる、と「彼」が答えた時。
その無感動な瞳は、少し、揺れた。
『だから……戻ったほうがいい。
 ……母親、以外の、誰かを見つけた方がいい』

ああきみはとてもただしかった。
どれだけここが不愉快でも、ここに戻って、過ごしていてよかった。
だって確かに出会えたのだ。
愛しい愛しい、俺の―――

****

目を覚ますと、当然のことではあるが、「彼」はいなかった。
かわりに恋人がそこにいた。
……すやすやと、寝息を立てて。
「………」
これは予知夢とかなんとか言うんだろうか。夢の中で見つけろと言われて目が覚めたら見つけた対象。どこまで象徴的なのか。
「……見つけたぞ」
とりあえず夢の中の「彼」に返事をしつつ、彼女の髪を触る。ふわふわしていて心地良い。
彼女は「んー」とひとつ高い声を上げた後、また寝息を立てはじめる。
「やっと起きたな、お前。二人して寝付きやがって、おかげでどれだけ気を使ったか」
「あ、すみません」
貸出カウンターから声をかけてきた同僚であり友人である男に一言謝る。
(……あ。そういえば)
「あの、スィルクさんの――」
「無事に借りて帰ったよ。しかしあれであのシリーズコンプリートじゃねえか。どれだけ理系一直線の趣味をかましてくれるんだろうな」
しかも俺らでも両手でやっとなぶっとい本をだぜ、と同僚が呆れ顔で言う。
「うーん……でも大丈夫だよ、次は薄い本借りていくと思うから。棚の並び的に」
「薄い本を4,5冊片手に抱えてくるじゃないか。結局一緒だ」
「………」
確かにそのとおりである。あの筋力馬鹿――ちなみに何故か彼女の仲間は彼女の筋力が尋常でないことに気づいていない、おそらくあの可愛らしい顔に自分から勝手に騙されているのだろう――は毎度毎度そのくらいの事を平然とかましてくれる。
ぶっ、と思わず噴き出したルーフェルを半眼で見つめながら同僚は、笑うのかよそこで、と言いながら手元の貸出カードを弄る。
「そういや、面白い事言ってたぜ、女騎士サマ」
「え?」
「そこ。お前の彼女の指定席なんだと」
「………」
指を差された方を見ると、確認するまでもなく、寝ているフィンがそこにいる。
「ここは貴方の指定席だ、って言って席譲って帰ってった」
「……それはまた、素直というか、的確というか……」
真っ直ぐで、さらに言えば単純な彼女らしい物言いである。
しかしそうか、そう見えたか、と思うと、なんだか少し愉快になって、さらに笑みが深くなる。
「……幸せなこって。羨ましいよ」
同僚はわずかに唇を尖らせ、手元のカードを揃え、重ねてケースにしまい込んだ。
「そうは言うけど、ここまでいろいろあったんですよ?」
「あー。なんかそうっぽいな、お前。まあそーゆーのも人生の肥やしだ肥やし」
「……大人ですね」
「まーな。俺だって伊達に生きてねえよ」
「そうでしょうねぇ」
こら適当に返すな、と言いながら、同僚はちらちらと視線をフィンに向けているルーフェルの意を正確に汲み取り、カウンターに向きなおってカードの整理を本格的に開始した。
何だかんだいって、この人は俺の親友ってことになるんだろうなあ、などとぼんやり思いつつ、フィンの方へ向き、その深緑色の髪を弄る。
「指定席…かあ」
フィンと出会ってから、思えば色々あったものだ。日々フィンの愚痴を聞き、体質と身元がばれ、フィンを望まぬ見合いから連れ出した。
そんな日々を経て、ここに彼女がいるのが当たり前になって。
今、彼女はここで、ゆっくりと呼吸をして眠っている。ごく自然に。
だから馴染みの黒い髪の女騎士はそう言ったのだろう。上手いものだ、と褒めても相手は目を瞬かせて不思議そうにこちらを見返すだけだろうけれど。

寝ているフィンが、くすぐったそうに首をよじる。もう起きてしまうようだ。
さあどんな言葉をかけようか。
そう考えて頬が緩むのを抑えようとはせず、ルーフェルは彼女に手を伸ばす。

陽光の当たる指定席で、まどろみから目覚めた彼女。
頬を真っ赤に染めた後、柔らかく、微笑んだ。

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