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月の明かりが雲に隠れて差しては来ない所為か、夜の闇は人を二人隠すに十分なぐらいに深かった。
石畳の上で音を立てないようにして歩くのは少し労力を要したが、ここまで来れば容易に見つかりはしないだろう。
そう判断してルーフェルは立ち止まり、息を急いで整え、辺りを見回すと、繋いだ手の先のフィンに声をかけた。
「どうやら撒けたようですよー」
「相変わらず、気の抜けた言い方を……っ」
フィンは憎々しげに呟き、ドレスの胸元に手を当てて息を整える。
「やっぱり武道かなんかやってるんですねぇ。
 この俺に付いて来れるだなんて、なよっちい貴族共とは大違いです」
「お前ねえ、容赦なく加速しておいて何を図々しい事を」
「でも、俺を呼んだね? 見合いの最中だっていうのに」
にこり、とルーフェルが笑う。
「………」
ぐっと押し黙るフィンに、ね、ともう一度笑いかけると、
「……お前ぐらいしかいなかったのよ。心当たりで腕の立つのは」
「はぁい。だってこんな血を持つ一族だしね」
先程ナイフの掠った腕を上げ、服を捲ってみると、見事にすっぱり切れた所から、赤黒い血液が流れ出していた。
しかも所々赤黒い色に緑や青が混ざっている。
つくづく自分は混血の一族なのだなあ、とルーフェルは少し感心しつつ眺める。
「お前、怪我をしているではないの!」
「すぐ止まりますってぇ」
そういって笑ってみる。実際もう血が止まりかけているのに、フィンの顔は心配の色に染まっている。
「でも、その傷は、私の所為という事でしょう!?」
フィンの心配そうな声に、ルーフェルはクスリと笑う。
「じゃあ、俺と責任とって付き合いますか?」
ああ、目を見開く姿もどうしてそんなに可愛いのか。
心中で悶えるルーフェルを余所に、フィンの顔が真っ赤に染まる。
「お前はッ……!」
フィンが叫ぼうとした時、あちらか、もっとよく見ろ、などという人の声が少し遠くから響いてきた。
「意外に早いですね」
夜目の利く魔物の血も入っているルーフェルには、この暗闇は逆に普通の者よりも動き易くはあるが、フィンはそうではない。
さて、どうしたものか。ルーフェルは考える。
正面突破は短慮である。
どこか建物に逃げ込むにしても、フィンの実家は結構な権力を持っている。それよりも強い権力或いは繋がりのある所に逃げ込まねばならない。
自分の持っているコネ、と言えばエイダ家である。
エイダ家に匿ってもらう事を厭うプライドより、フィンの方が大事だから、それに抵抗はないけれど、果たしてエイダの者達が自分を匿ってくれるかどうか。
「……もう少し逃げましょーかー?」
「それより傷は?」
「大丈夫ですよ」
進行方向に目をやり、さあ手を、と言いかけた、その時だった。
見ていた方向から、方向から、ぱっと自分達を照らす光。
「えっ……!?」
ルーフェルは身を強張らせる。
フィンがはっと緊張するのが、気配で伝わってきた。

 *

『兄』に家督を継ぐ事を断られ、それを納得し、でも少しだけ色々話したいと二、三日たってから家を訪ねれば留守。
だから彼を捜して深夜の街を歩いていると、彼は他人の見合いをぶち壊し、その見合いを受けさせられていた女性を連れて逃走中だった。
そんな体験をする18歳、自分の他にいるのだろうか。
……いや、いない。
シグマ=エイダは反語でそう結論づけて、内密に世話係に作ってもらった夜食を『兄』と女性の前に置いた。
「あー、ありがとうシグマー」
「有り難う、シグマ=エイダ」
家督を継ぐのを断った時、凛としていた兄の声は妙に気の抜けたものだが、女性の声はしっかりはっきりした声。
少し不思議な感じである。
一応、女性は前にパーティーで見た事がある。確か、ディルカ伯の娘、フィン=ディルカ。
それと王城図書館の職員に過ぎない『兄』、ルーフェル=スィルガ。
とりあえず自室に匿ったはいいが、これからどうするべきだろうか。
こんな事をしたのは、当たり前だが、人生初めてであるので、やはり戸惑ってしまう。
幸いこの屋敷には信用のおける世話係や使用人達しかいない。自分が『兄』を捜すのを手伝ってくれた、いい人達だけだ。
とりあえず、この二人の関係を、と思い、
「ええと……お二人は恋人、という事でよろしいのでしょうか」
と聞いてみると、
「違うわよ! ただの知り合いよ!」
「知り合いですよ、ただの」
ルーフェルの断言に、フィン=ディルカが真っ赤にしていた顔を一変させ、なぜか傷ついたような顔になる。
横でそれを見て『兄』ルーフェルが浮かべる笑顔がかなり嬉しそうなのに腹黒そう。
その様子が、なぜか蝶と蜘蛛を連想させた。
それで何となく、二人の関係を理解した。だが、兄のあの腹黒い笑顔に潜むモノを敵に回してはいけない気がするので、フィン=ディルカ嬢には気付いた事を黙っておく事にする。
「で、どうするつもりですか、兄さん」
「そうだね、まぁ取り敢えず、ここを二部屋かしてくれる?
 一晩たてばどうにかなると思うからねぇ」
どうにかなる、とはまた、楽観的である。
自分たちを頼ってくれれば多分本当にどうにかなるとは思うが、果たして『兄』がそうするかどうか。
「それでは、部屋を用意致します。
 今宵はどうぞ、ごゆっくり」
結局、シグマはそう告げるしかなかった。

 *

「手回しを頼む」
あっさりとそう言われて、シグマは面食らったような顔をする。というより、面食らった。
びっくりしているのである。ルーフェルにそんな事を素直に頼まれて。
「い、いいけど兄さん、もしかして熱があるのでは?」
「無い。
 今回ばかりは、まともに役に立ちそうなのがお前ぐらいしかいないからな。
 頼む」
フィンの為であるだけに真剣な瞳の兄に、シグマは頷くしかない。
「じゃあな」
承諾を得たのですぐ帰ろうとするルーフェルを、シグマが呼び止めた。
「兄さん」
「なんだ?」
「兄さんと、兄さんの母上って……どうして、父さんに捨てられたのですか」
「……世の中には、子供が知らなくてもいい事情があるんだよ」
「納得できないです。父さんは、何も問題のない人を、子供が出来るぐらい愛した人を、平民だからといって捨てるような人じゃない」
ルーフェルは振り返り、ふっと、暗い笑みを浮かべる。
「今の若い奴らには理解できないさ。
 ルシュカートのハイブリッドがどれだけ忌まわしがられるか」
「え……」
驚きに何も言えなくなるシグマを置いて、ルーフェルはドアを開けて部屋を後にした。
ルシュカートのハイブリッドについて、今ではきちんと教育がなされている。
だから、新しい世代には、分からない。
これまで、偏見を持っていた者達の思いが。
その偏見がどれだけ馬鹿らしいか、分からない者達の感覚が。
そうでなくても、ルーフェル達の『本当の姿』を見た物の、表情が。
分からない。分かりはしない。

* * * *

ルシュカートのハイブリッド。
古より、様々な民族の血を取り入れる事によって己の身の強化をはかった、混血の一族。
ルキアスウィサードによるウォルア王国成立以前では、一族は一国に匹敵する力を誇ったという。
その力を恐れて王が彼等を滅ぼすよう命じた事もあるという。
今はもう、希少すぎて、生き残っていたのが奇跡といえる程の存在。
だというのに、差別がいつまでも続いた種族。
シグマ自身、保護されている者達以外は、滅んだものと思っていた。
それが、ルーフェルと、その母。
シグマの兄達なのである。
「……はは、そうか……」
成る程。
シグマには、その差別は分からないが、上の世代の大人達が、そういう民族に対して、大層嫌な反応を示すのは知っている。
それで、父と、その恋人は破局した。
馬鹿らしい。本当に、馬鹿らしい。
……それ如きで子までなした愛する人を、捨ててしまった父親が。
それ以上に、その父を、血が繋がっていなくっても、尊敬し、ルシュカートのハイブリッドのようなもの如きでは動じない、人格者だと信じていた、自分が。
ドアをノックする音がした後、そっとドアを開けて、幼なじみであり、執事でもある男が気遣わしげに入ってくる。
「……シグマ? どうせお前の事だから、色々手回しするんだろうと思ってきてみたんだが……」
「ああ……うん。ディルカ嬢の事で。手回しを頼む。てか、まかせた。お願い」
「ああ。……大丈夫か、本当に。顔がぐしゃぐしゃだ」
気心知れた執事が顔を覗き込み、心配そうにシグマの額に手をあてた。
「……あれが兄貴か。
 ちょっと、変な感じの奴だな。人間じゃない血も入ってる」
「そっか。お前、フェンリルの血が入ってたっけ」
「うん。でも、何の一族なんだろうな。
 よく分からないんだ。同族の気もするし、天敵のような気もするし、はたまた全く関わりのない種族のような匂いもしたし。
 混血でもしてるのかもな」
「そうだな。無数の血が混じってる」
「ふーん」
シグマの言葉はあまり気にしない様子で、執事が首を回す。ポキポキと音が鳴る。
「……じゃ、とにかくまかせた」
「おう、まかせられた」
そういって軽い足取りで執事は扉に向かう。
昔から聡い彼は、大丈夫じゃなくなりそうだったら呼ぶんだぞ、という一言を残すのも忘れなかった。

 *

「……ルーフェル……あの男、何を考えているのよ……!」
フィンは呟くと、ベッドに突っ伏した。
わざわざ自分の見合いをぶち壊しに来て、怪我なんてして。
「……ときめいてしまった、では、ないの……」
呼び声に応じて、ルーフェルがフィンを人々の前から連れ去ったときの、あの早い鼓動、切れた息、必死な声。
「あれかしら。危機感を恋愛と勘違いするという……」
けれど、これと同じときめきを、既に感じた事がある。
危機感とは程遠い、街の中。
『ここはもう、図書室の外でしょう……?』
そう、不敵に笑って告げたルーフェル。
それから、時々の、日常の、図書室での一瞬。
彼に感じた胸の高鳴り。
「……ルーフェルって、そんなに危ない奴だったかしら……」
どちらかというと、彼と一緒にいると、安らぐ、というか、今まであまり経験した事のない感触があるというのに。
「……分からない、わ……」
(というか、どうして今後の事でなく、ルーフェルの事ばかりを私は考えているの!?)
思わず自分を自分で抱きしめる。
分からない。本当に、分からない。
いや、分かっている。けれど、気持ちが、あまりにも慣れないものだから、分かりたくない。
「……ああ、もう」
一人の事ばかり考えて。
「……まるで……」

 *

「まるで恋愛小説、だなあ」
愛する人を見合い現場からかっさらい、怪我までして連れ去ってくるなんて。
「まあ、いいか。
 多分、これで後少しになっただろうし、ね……」
ルーフェルは一人呟く。
その笑みは誰にも見られることなく、元の顔に戻る。
その声は誰にも聞かれることなく、夜の闇に消える。
それを知りながら、王道の恋愛小説にはふさわしくない男は、フィンを落とす幾通りもの一手に考えを巡らし、腹黒くほくそ笑んだ。

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