前よりも頻繁にフィンは図書室に出入りするようになった。
本は二日おきにに返すが、それまででも図書室に入り浸って他の本を読む。
ルーフェルのいるカウンターの傍の机で。
ルーフェルは何も言わない。ただ、フィンの話に相槌を打ち、静かに話をするだけだ。
ルーフェルのイヤミ寸前の言葉に突っ込みつつ、ゆったりと過ぎてゆく、そんな時間が、フィンはとても好きだった。
けれど、ずっとあの刺青の事が頭の片隅から離れない。
あの毒々しい色。あれはなんなのだろう。
彼女の直感が警告を発する。知ってはいけない。

でも、調べずにいられなかった。

 *

すり切れたカード。フィンがよく自分に会いに来てくれる証拠。
ルーフェルはそっと隣の机の箱からそれを抜き取った。
彼女の読む本は実に多彩だ。恋愛小説から評論まで、色々なものを読んでいる。
だが、そのカードの最後の方に記されている4冊の書名をみて、ルーフェルは絶句した。『民族と刺青』『先天性の紋様』『遺伝で現れる刺青』。
そして『ルシュカートのハイブリッド』。
血の気が引く。体が一気に冷えてゆく気がした。
どうしよう。知られてしまったら、どうしよう。
血脈ぐらいどうでもいいと言われればそれまで。だが、ルーフェルはそう言いはしないだろう人々を知っている。
母の血脈を知った途端、手のひらを返したように冷たくなった父だってそのいい例だ。ルーフェルを見捨て、母を見捨て、今では少しばかりの生活費を投げやりに提供するのみ。
フィン。愛しのフィンは、そうでない事を祈ろう。
もし拒絶されても、ルーフェルはフィンが好きなのだけれど。

 *

「……」
フィンは図書室に入ると、迷わずにルーフェルのいるカウンターに向かう。
いつもは習慣だが、今日はだいぶ意味と気分が違う。気のせいだろうか、ルーフェルの纏う空気も変わっているような気がした。
そして、返却予定の最後の一冊を、どん、と音を立ててルーフェルの前に置いた。
その題名を読み取ってか、それとも幾度も読み直した本であった為に見慣れていたのか、どちらにせよその本の内容が分かったらしく、ルーフェルの顔が悲愴な程に青くなる。
それこそが、フィンがいますこし不快に思っている事であった。
「ルーフェル。貴方は……ね?」
まわりに人がいるのを考え、はっきりとは言わなかったが、ルーフェルには伝わったらしい。
いつもの微笑みはどこへやら、ルーフェルの顔は深刻そうで、それでも意を決したように、ルーフェルは頷いた。
ルシュカートのハイブリッド。昔からの由緒ある戦闘民族だ。
ハイブリッド−混血というからには、他の種族の血も混ざっている。
竜、吸血鬼、天使、悪魔、鳥……その種類は様々で、それによって高い戦闘能力を得ているものの、その手段を選ばぬ混血方法、力は時に忌み嫌われる対象となってきた。
人工的な強さ。それを追い求めていた故に、二百年前のこの国の王族に残らず討伐された、とされていた。
だが、生き残りはやはりいる。
しかも、その血を本格的に表した時の姿はまさに異形に等しいらしい。
そして残念な事に、それはやはり恐怖の対象となり、特別視されてしまう。差別される事もしばしばだ。
まあ、ばれてしまえば、の話だが。
だが、むかつくのはそれではない。
「貴方…私がこれぐらいで、そこらの下賎な者達のように貴方を差別の目で見るとでも思ったの?
 恥を知りなさい、恥を!」
普通の声の大きさだが、叱咤する調子は強く、フィンはルーフェルに怒った。
それでもやはり目立ったらしく、フィンはルーフェルの顔を正面から真っ直ぐ見つめて告げる。
「外に出なさい。話はそれからよ」
そうきっぱり堂々と胸を張っていったのに対し、にっこりとルーフェルはいつもの穏やかな笑みを浮かべる。
「やっぱり、フィンさんはフィンさんだ」
そう、いつもの穏やかな声とは違う、慈しむような、妙に人間臭く、現実味のある、低い声でそう告げられ、フィンは胸がざわつくのを感じる。
いつものルーフェルとは明らかに違う様子。けれど、それでもルーフェルだ。
「ごめんね」
ルーフェルはフィンの図書カードをどこからか取り出すと、カウンターの上に置く。
図書室にいつも通っていたために、使いすぎてすっかりすり切れてしまっている。
それをどうしてルーフェルが。
「偶然、見ちゃったんだ。
 で、気付かれたかと思って、恐くなった。
 まー、でも大丈夫だとは思ってたけど、やっぱりドキドキしたよー」
いつもの間の抜けた声でルーフェルが説明する。
カッと頭が熱くなる。
「あ…貴方、なに人のプライバシーを覗き込んでいるの!?」
「フィンさん、なに人の刺青の事を探ってたのー?」
結構な切り返しだった。ルーフェルはどこまでいってもイヤミ魔人のようである。
「だから、大丈夫だよ、フィンさん」
「なにが!?」
「俺はフィンさんが嫌いじゃない。どっちかっていうと好きだよ。見くびってもいないの。ただの反射で怯えてただけ。
 だってフィンさんは、ちょっと傲慢な所もあるけど、いい人だもの」
にっこりと穏やかに微笑まれると、どうにもできなくて、フィンは顔を背ける。
「今度からは、カードの盗み見は許さないわ」
「うん」
「……また来るわ。それまでに、その反射とやらを直しておきなさい、この無自覚イヤミ魔人!」
「うん」
ルーフェルが穏やかに笑う。
この男は分からない。ぼけているのか、全て計算済みなのか。
フィンは赤くなった頬を隠すようにして、カードを取ると、返却カウンターに向かう。
このぼろぼろになったカードは、フィンがルーフェルに会う為に図書室に入り浸った証だ。
ルーフェルの血を知った時、驚くと同時に悲しくなった。
自分は彼に信用されていないのか。ただの五月蠅い相談者だったのか。見くびられていたのか。
たった一ヶ月の付き合いだけれど、何故かそう思ってしまった。
けれど、嫌いではないと言ってくれた。好きだと言ってくれた。
だから、このカードはもっとすり切れる。次の代になっても、すり切れてゆくのだ。

 *

「ああ、やっぱりフィンは良いなあ……」
フィンが去ってから、そう呟くと、大仰なため息の音が頭上からふってきた。
「ああ、フィラナル」
「お前、本当にフィンが好きなのな。何をやり取りしてたか知らないけど、いい顔してた」
「まあそうですね」
なにせ、フィンはルーフェルがあの忌まわしい種族である事ではなく、それを言わなかった事に対して怒ったのだから。
しかも、もしかするとルーフェルに嫌われているのではないかと思ったから怒っているのかと思ってかまをかけてみたら、あの反応。どうやら当たっていたらしい。予想以上の収穫だった。
つまり、フィンはルーフェルに対して、恋情まではいかなくとも、他の者より多く好意を寄せてくれている。その自覚はあったが、やはりこういうことがあるのはとても嬉しい。
そんな事を考えて、くすりと笑うと、フィラナルはまたこれ見よがしなため息をついた。
「……まあ、いいよ。
 本当にどうしてこんなのに引っかかったんだ……」
「俺の前でよく言えますねえ」
「だってたちが悪いんだよ。お前、腹黒なのに嫌いになれない」
「………」
ちょっと新鮮な意見だった。腹黒なのに嫌いになれない、とは。
「なんだよ」
「嬉しいです。まあフィンが与えてくれる喜びには遠く及びませんがね」
このイヤミ魔人。そう言いながらフィラナルはそっぽを向く。
いい片思いの相手に、いい友人。
こんな血筋だけれど、存外自分は恵まれているように思える。
愛おしいフィン。彼女はこれからも、自分にこんな気持ちを生まれさせてくれるのだろうか。
すり切れたカードを持って、この図書室に来て。
「これでフィンが、俺に惚れてくれると良いのに」
「……そればかりは運だな」
フィラナルがため息をつく。
ルーフェルは彼に向けて、にっこりと腹黒く笑ってみせた。

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