月末のその日、相談カウンターにルーフェルがいなかった。
代わりにこの図書室の主とも言われる剛毅な司書、ココルおばさんが貸し出しカウンターと共にそれを受け持っている。
フィンは妙な心境だった。
いつも相談カウンターに向かうのがクセだった為、なんだか変な気持ちがするというのも一つ。でも、そんなものは後でフィラナルにでも一方的に話をすれば解消されるだろう。
でも、何故かしっくりこない。あの日に輝く琥珀の髪の青年が見あたらない事が、胸をざわざわと波立たせる。
今までフィラナルなどがいなくても平気だったのに、どうしてだろう。
今まで半月余り、ルーフェルがカウンターに座っているのを見慣れてしまった所為だろうか。
取り敢えず本の棚に行って、適当に本を物色する。
(……ルウィンダ『空響鐘』『その名を捨てろ』 ルウラ『ヴェスティアーリス』……あら、妙に整理されてるわね)
やがて良さそうなものが見つかったが、フィンには届きにくそうな高さ。
それでも何でかいつもある台がない。
(成る程、月末整理ね)
図書室の職員がかり出され、一斉に月一度の整理をする日。
仕方なく、精一杯背伸びをしてみる。
後少しのところで届かない。
少しジャンプしてやろうかと思ったその時、しっかりした男の手がその本を横から抜き取った。
「はい。これでいいですよねー」
聞き慣れた間延びした声。小脇にフィンの求めていた折りたたみ式の台を抱えたルーフェルが横に立っていた。
「スィルガ」
驚きで胸がいっぱいになる。
「ルーフェルでいいですよー。はい」
もう一度差し出された本を受け取り、
「ありがとう」
と言ってみると、
「わあ、なんか意外ですね」
と間延びした嬉しそうな声が帰ってきた。つくづくイヤミなのかそうで無いのか分からない奴だ。多分ただの間抜けというか、世間一般で言う天然とでもいうべき性格なのだろう。
この半月で慣れているとはいえ、どうにかならないものか。
「あなたねぇ……」
「はいー?」
なんにも気付いていないようにぽけっと返され、フィンは脱力感を押さえきれない。
「まあ、いいわ。月末整理だったのね」
「そうですー。まあ本当は研究員なんで、やらなくても良いんですけどー」
「ならどうしてやってるのよ」
思ったよりも言葉がとげとげしくなってしまい、フィンが戸惑っていると、
「フィンさんが捜してくれるかなーって」
ルーフェルが満面の笑みで返してきた。
心臓が跳ね上がる。鼓動が激しくなる。息が苦しい。
図星だった。視界の端で、あの琥珀の髪がちらつかないかと、今日は常に意識するつもりだった。
「冗談ですよー。ココルさんに言われただけです。
 ……あれ? 顔が赤いですよ?」
琥珀の髪がはためき、乾いた手がフィンの頬へ伸ばされる。
その動きが思ったより俊敏で、フィンは動けない。
ルーフェルの手が頬に触れ、
「うん、大丈夫ですねー」
そして離れた。その時その手の袖から、奇妙な刺青が見えた。
図案化された、矢尻のような模様。後は袖に隠れて見えない、赤と黒の刺青。
赤といってもそれは、毒々しい血のような紅だった。
そちらに目を奪われていると、ルーフェルもそれに気付いたのか、さっと手でそれを隠す。
「ちょっと若気の至りでつけちゃった刺青です。変なもの見せてすみません」
いつもと同じ間延びした声。しかし僅かな焦燥が滲んでいる。
若気の至り。それにしてもどうも奇妙な模様だった。それに、その言葉が言い訳がましく聞こえるのは何故だろう。
犯罪関連のマークに似通ったものはない。
フィンは奇妙に思いながらも、奇妙な迫力を帯びたルーフェルの目に圧され、問い質す事が出来なかった。

 *

見られた。見られてしまった。
ルーフェルは流れる冷や汗を感じながら、本の倉庫の隅で頭を抱えた。
ああ、だからもっと長い袖の服を着ておくべきだったのだ。
この忌まわしい刺青。自分の血脈の証。
もはやもうちりぢりとなってしまった一族の証。
調べられたらどうしよう。知られていたらどうしよう。
フィン=ディルカ。彼女に嫌われては堪らない。好きなのに。とても好きなのに。
身も心も綺麗で可愛かったから惚れたのだ。軽い想いではない。
多分フィンは、そんな事なんだというの、などと言ってまた世間話をぺらぺらしだすだろうが、万が一という事がある。
別に自分の母が貴族の妾であるだとか、そんな事は知られてもいいのだ。でも、この刺青だけは。
深呼吸する。落ち着け。何も、全て知られるわけじゃあない。
自分には魅力があるとは思う。フィンを好きな気持ちだって、誰にも負けない。
ルーフェルは気合いを入れ直し、倉庫の扉へ足を向けた。

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