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手には紙袋に入った評判の店の菓子折。
紫がかかった黒の短髪に、アメジストのような色の澄んだ瞳の、整った顔。
黒を基調とした、きちんとした服。
ウリエルがくる、といった二日後、虹凛 紫雲(こうりん しうん)と名乗るその青年はラエに玄関で挨拶した。
なんだか、信じられないものを見るような目で、狼狽をあらわにしながら挨拶をする彼は滑稽にも見えた。
意外とウリエルの知り合いにしては普通だな、と少し失礼な事をラエは思った。
*
食堂の横の、厨房にて。
ラエはウリエルと紫雲が飲み干したコーヒーのカップを濯いでいた。
二人とも一気飲みで、少し見ている方が心配になる程早く飲み干した。
そしてお茶菓子も紫雲が半分平らげた。
「ああ、俺が洗いますよ」
後ろから声がかけられ、洗わなくていい、と反射的に言う前に目にもとまらぬ早業でぱっと後ろからティーカップが奪われる。タイミングよく、不快でない程度の力で。
「虹凛さん」
あっけにとられたラエに、クスリと笑って紫雲は
「いきなり来たのは俺ですから。貴重な物も食べさせてもらいましたし」
とラエを後ろの椅子に追いやり、スポンジで皿もこすっていく。
「いいですよ、私の仕事なんだし」
「俺がやりたいだけですから。家じゃめんどくさいのに、他人の家だとやらなくちゃなんない様な感じになる。やらないと俺が罪人みたいな感じがするから」
「そうですか、じゃあお願いします」
「……普通遠慮しません?」
「だってやりたいんでしたら」
「そうですね」
そう言って作業を続ける紫雲。
揺れる黒い髪に、白い肌。白い肌は同じだが、
「色が反対ですね。ウリエルと」
「よく言われます。ウリエルさんはどっちかというと日に焼けてるけど、俺はあんまり外出」
そこで一旦言葉を切り、
「……してなかったから」
そこでふー、と疲れ切ったため息をつく。
してなかった、という事は今はしているのか。そうラエは思うが、ため息の重さから、何となく口に出せない。
「そう言えば、貴重な物ってなんですか? ウリエルは一年前に買い置きしたって言ってたけど、そんなに保存が利くものなんですか?」
「気付いてなかったんですか!?」
「はあ?」
確かにあの、ビスケットの間に白い美味しそうな物が詰まっているお菓子は保存が利きそうで美味しそうだったけれど、あれが何か貴重な物なんだろうか。
「レンバスですよ、エルフの秘伝の菓子。ああ、でも最近はそんな有名じゃないのかな」
最初は興奮して、最後あたりは落ち込むように紫雲。
レンバスといえばエルフの技術が込められた最高級の菓子で、ラエはおとぎ話の中でしか読んだ事はない。
それが、あれ。
「あれが!? おとぎ話の中の物だとばかり」
驚いて声を上げるラエに決して嫌みではないため息をついて
「それでもあり得るんです」
きっぱりと紫雲。そして最後の洗い物を済ませてラエの方に向き直る。
「まあそれも最近はかなり貴重なんですけどね。何処のコネから手に入れたのやら」
「じゃあ後で食べてみます」
そうして下さい是非、といった後で、また紫雲はため息をつく。
ため息の多い人だ、とラエはなんだか感心してしまった。
「貴重といえば貴方も十分珍しいんですよ、気付いちゃいないでしょうが」
その綺麗な髪をかき上げて紫雲が苦笑し、そしていきなり妙に真面目な瞳になって言う。
「あの人の家、つまり此処に人が住んでるなんて、あり得ない」
「は?」
何を言うのだろう。現にラエがここに住み込みで働いているのに。
「いつもはとっくに追い出してます」
追い出すって、誰を。
「貴方みたいなメイドさん志望の人を。ほとんどの人はあの人を不快に思う事もあるし、そうでなくともウリエルさんの気に入らない人は次々やめさせられる」
「あり得ない」
「あり得るんです。どちらかというと貴方の方が珍しい」
そうなのだろうか。
そうかもしれない。
考えてみれば自分のような家出少女など、悲しい事にいくらでもいるのだから。身寄りのない者も。
あの慣れてそうな仕草も、その所為なのかもしれない。
「大体あの隠れ俺様のウリエルさんが自身の所有物である花畑を半分も、ってのが更に。あの人の友達に言わせれば晴れてたら『雨が降る!!っていうか天変地異!!』と言って、雨が降ってたら逆を言って、慌てるでしょうね」
「はあ」
よく分からない。とりあえず気の抜けた返事を返すと、
「はあって」
「まあ、ウリエルの事ですから、気が向いただけじゃないんですか?」
そう平然と言うラエに、
「そんなにね。変人だと思っちゃいけないんです」
「は?」
また訳の分からない事を。
「あの人、考えてる事は俺らが思うより普通なんです。そりゃ変わってる事は変わってるけど」
そう言ってまたふうっとため息をつく紫雲。
「意外と考えてないようで考えてるんです。で、考えてるようで考えてない」
そしてにこりと笑う。
「とにかく俺が言いたい事は、貴方はウリエルさんの『お気に入り』だという事です」
「お気に入り?」
「そう。あの人はああ見えても人を見る目がある。まあ」
微笑みながら紫雲は言った。
「貴方がお気に入りでも、別にいいとは思うんですけどね」
ウリエルの声が聞こえた。ラエー。夜ご飯紫雲に作らせて。
「……何がありますか?」
何かを諦めたような、しかし何かを懐かしむような顔で、またため息をついて紫雲が言った。