水玉。
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水玉。

ベーコンエッグが気持ちの良い香りを立てる。
ラエは起きてきて、もう食卓にウリエルがいるのに驚いた。
普通の人なら起きていてもおかしくはない時間でも、一応早めだというのに、いつもは遅くしかも寝間着でうろついているウリエルが、二人分のベーコンエッグを前にきっちりと服を着込んでいる。
「お早う、ラエ」
ラエが驚くのも気にした風もなく、平然と言ってくるウリエルに、戸惑いながらも、
「お早う」
ラエは応え、そしてウリエルに差し出されたベーコンエッグを受け取っていつものウリエルと向かい合う席に着く。
フォークにベーコンエッグをのせて口に運び、味わってみると、美味しいとしか言いようのない味が舌に広がった。
塩・こしょう、焼き具合もどれも絶妙で、ベーコンのうまみが引き立っている。
思えばウリエルの作った朝食を食べた事はなかったような気がする。
「美味しい」
ラエが思わずそう漏らすと、藍色の瞳を細めてウリエルが笑う。
いくら二週間一緒にいたといっても、やはりまだラエはウリエルの微笑みには本当には慣れていない。
状況によればその笑顔が安らげるものに感じたり、ドキドキするぐらい美しいものに見えたり。
そして今は、今日が最後という事もあるのか前者にも後者にも感じてしまう。
もともとの顔が信じられない位美しいから特に。
綺麗で安らげる。
なんだかやっぱり、天使のようだと思う。
別に神聖そうだからとか後光が差しているとかじゃなく。
ただ何となく、ウリエルの背中に綺麗な羽根があってもおかしくないような気がする。
実は本物の大天使ウリエルです、とか言われても妙に納得出来そうな感じだ。
大体よく考えれば、伝説に記された性格なんて大体美化されているものだったりするのだ、と考古学マニアの幼なじみが以前言っていた。
その後、すぐにヒスイがもう一人の幼なじみとお化け屋敷の探検をしよう、と誘いに来たから、詳しく聞いたりはできなかったけれども。
「ラエ。とりあえずこれ。お守り」
どこからかラエの片手に少し余裕を持って収まるぐらいの箱を取り出してウリエルが渡してくる。
簡素な装飾が施されたトネリコの小箱で、下の面にネジと幾つかのつまみ、上の蓋になっている面にかわいい羽根の彫刻がある。高さはラエの親指三本分程。上の面は正方形だ。
「オルゴール?」
「お守り。オルゴールはおまけ。つまみで曲が選べるけど、中身はあとのお楽しみにしておいて」
「うん」
あと、といえば、多分帰ったあとという事だろう。ちょっと寂しい気分になるけれど、ありがたく頂いておく事にした。
「それと荷造り手伝うから。必要になったら呼んで。庭か部屋にいる」
「ああ、それはこれ食べたらすぐするから。ちょっと待ってて」
そう言ってラエはベーコンを口に入れた。



玄関の前の廊下に大きめの旅行用バッグを2つ置き、ウリエルはラエの方を向いた。
「これで良い?」
「うん、良いよ」
ラエはそれに頷いて、自分の部屋に一応の確認をする為に戻る。
玄関から見て廊下の左、玄関から二番目の部屋。
いつも掃除するウリエルの部屋と別に変わらないくらいの部屋なのに、荷物がないからか、妙に広く見える。
部屋を見回す。どうやら忘れ物はないようだった。
あらかじめベッドのサイドテーブルにおいてあった青い包装紙の包みを取る。
昨日、昼の間に町まで走って、精一杯選んできたものだ。
それを手で転がした時、チャイムの音もしないのにドアが開く音がした。
心臓が跳ね上がる。父さんと母さんだ。多分ウリエルがラエの時のように、呼び鈴を鳴らす寸前に開けたんだろう。
この二週間の間、郵便屋さんが来る時もそうだった。そんな第六感のようなものがあるのか、あれだけの精霊と契約出来るくらいの力の持ち主だから、結界でも張っているのかもしれない。
(でも、そんな事考えてる場合じゃない)
ラエは勢いよく扉を開け、廊下に出て右の玄関を見た。
ウリエルがこちらを向いて立っている。
そのこれまでに無いぐらい分かりやすい、呆けたような混乱しているような、すがるような表情と目が、口には出さなくともはっきりと
−−−この人達、一体何?
と訴えていた。
当然だろう。ラエはそれでかなり苦労してきた。今回の家出に発展する程。
目をつむって息を整え覚悟をし、ぱっと目を開けてウリエルの向こうを見る。
玄関に彼らはいた。
父はアフロヘアーに妙にリアルな薔薇の刺繍の入ったシャツ、そして黄土色の五寸釘の刺繍が入ったズボン。どちらも無駄に高価なものだ。
えぐい。と言うか気持ち悪い。
母は明るい色とりどりの細かいモザイクのシルクのプリーツ加工の上に三段のフリフリがついたワンピースに、くるっと妙なカールを巻いた赤茶の髪。
ワインレッドならまだましだったろうが、それは今年42になる女には似合いにくい。というか似合わない。
二人とも、どこか間違った服装だった。似合わない。趣味が悪い。そういう形容が似合う服装。
多分ここに来る道すがら、幾人もの人が思わず振り向いてしまっただろう。
そんな両親を見ても、ラエは別に驚かなかった。
ただ、やっぱり、という諦めが体の中に染み渡ってゆくだけだった。