水玉。
15
水玉。

ノックの音がした。
朝。しかも、叩いている人物にとっては結構早いであろうこの時間に。
「ぁ、ウリエル、待ってよ」
ラエは服のボタンを急いでとめて、ドアを開ける。
「ラエ」
寝間着で心配そうな顔をしたウリエルが立っていた。気遣ってくれているのだろうか。
「ウリエル。今日は早いじゃない」
といっても。
「まあ、仕方ないか」
そういってラエは苦笑し、その後至って平然とした顔でいった。
「でもね、私まだ帰らないかも」
「は?」
そう声を上げるウリエルを尻目にラエはベッドに座る。
「私もの凄く下らないことで家出したんだけど、でもそれ、私にとっては結構大事なことでさ」
そう。結構。父母にここまで面倒をかけてもやっぱり嫌なこと。
「まあ、ひと目見れば分かる」
ラエは思わずそのことを思い浮かべ、ため息をついた。
あの手紙ではいっさいそのことに触れていない。
ウリエル宛だから勿論そうであらなければいけないだろうが。
「だから、まあ、今日一日は普通にしてて」
そう言ってラエは足早にウリエルの横を通り抜けた。
目指すはキッチン。朝ご飯を作らなくては。



「帰った方がいいんじゃない」
野原に寝ころびながらウリエルが言った。
「うん。帰るつもりなんだけどさ。帰ることになると思うし」
ラエは洗濯物を干しながら答える。
父母は多分調べてくれたのだろう、色々と。
そこまで面倒をかけたままではいられないから。
「まあ、あれ次第」
「?」
「服」
「ふく?」
「そう。まあ、会えば分かるから」
「うん」
素直に頷くウリエル。
その仕草を見て微笑んでから、ラエは物干し竿に向かう。
そうしてウリエルの顔を見ないようにしながら、昨日ベッドの中で迷いながら考えていたことを言った。
「どうしてウリエルは、私を雇おうと思ったの?」
「いい子だから」
ウリエルの即答に苦笑して、
「そういうんじゃなくて。紫雲さんから聞いたけど。私の他にも一杯いたって」
「真麗亭で、そういう人達が来た時、時々俺の方に回されてくる」
「やっぱり」
半ば予想の付いていた答えだったが、実際にウリエルの口から告げられると、やはり現実味が違う。
「だから家政婦さん達が結構来る。でもやっぱり帰ってくし、前言ったみたいな性格の人たちだったりする」
淡々とウリエルが説明する。
「だから紫雲さん、あんなに珍しがってたんだ」
ラエはやっと納得した。
「・・・いい人でも、何となく嫌な時とかは雰囲気が伝わるみたいで辞めちゃった」
遠くか近くか何処を見ているのか分からないぼうっとした瞳で言う。流石にラエでも分からない表情だ。
「でも、ラエはいい子だから。多分、今までで一番」
「でももう多分明日で帰るよ」
「うん。まあ、もうそろそろ色々にぎやかになる時期だから」
「にぎやかに?」
「うん」
こっくりと頷く。どういう事だろうか。ここは山の中だし、虫がにぎやかになるということなのだろうか。
最後の一つであるウリエルのシャツをハンガーに掛ける。
その動作を見届けてウリエルが手招きした。
「何?」
「手、出して」
近付いていって手を出すと、そこにぽんと何かが置かれた。
「お、お金!?」
「出荷して稼いだ半分」
「・・・一万、千、・・・二万αぁ!?」(一α=約十円、2万α=約二十万円)
多い。住み込みにしては、いやそうでなくとも多すぎる。
ウリエルが持って行った花はたいした量には見えなかったが、わずか出荷一回にしてここまでとは。
とにかく少し怖くなって、
「いいよこんなに。住み込みなんだし」
と言うと、
「そう」
ウリエルはラエの手から半分だけを取る。
どうもウリエルの感覚というモノは世間一般から外れているようだ。
その動作を見ながら、ラエは寂しくなった。
給料を貰う、ということは、もうここから帰らなくてはいけないと言うことだ。
金の切れ目が縁の切れ目とか、そう言うことではない。
ただウリエルは節目に普通に給料を渡している。その節目が、ラエが帰るという事であるというだけ。
だから実感が湧いてくる。ここから帰るんだと。帰らなくてはならないのだと。
朝早く起きて家を飛び出した朝のような寂しさが、ラエの胸にこみ上げてくる。
これではこっちが家のようなものだ。
いたら安らぐ場所。二週間ぐらい前にこの家の前に立ったばかりなのに。
なんだか妙なようでそうでないような、でもやっぱりどこか変なウリエルと出会って、少し変わった毎日を過ごして。
考えてみれば変だ。妙だ。でも、なんだか自然にそうなってしまった。
「ごめん」
ウリエルがそう言ってすまなさそうにうつむく。
「大丈夫」
そう答える自分はどんな顔をしているのだろう。
ウリエルは、一体どんな顔をしているのだろう。
ウリエルが立ち上がり、ぽんぽんと優しく頭を撫でてくれる。
「大丈夫じゃ、ない」
自分に言ったのか、それともラエに言ったのか。
両方なのかも知れないと思った。