「お父さん、どこを見ているの?」
少女は父に抱えられながら聞いた。
はるか遠くに目をやっていた父は、その言葉で少女に視線を戻す。
「私の生まれ故郷さ」
「ふぅん? でもあちらにはどの一族の村もないわ」
「いいや。そのずっと向こうだ。
 山を越え、谷を越え、その向こうの平野のそのまた向こうで、私は生まれた」
「ならどうしてここにいるの」
「お母さんが好きだからね。それに、……」
あそこは狭くて辛かったんだ。
そう言った父の顔を、少女はぽかんと見つめていた。

 * *

「もー、また泥酔ですか!
 今度こそ神殿から追い出されても何も言えませんよ、ヴァルム様!」
「追い出す、ね」
「そうですよ!」
世話役らしい金髪に茶の目の神官が酔っぱらいのオッサンを叱りつける。オッサンはオッサンで酔いは醒めたもののまだ頭がはっきりしないのか、ぐらぐらと左右に揺れながらだるそうに応答をぶつぶつと返す。
「……てかさ、仮にも始祖様の子孫って奴なのに、『勇者』の前に放置したままってなんだよ」
「まあ良いんじゃないか? 神官さん達も祈りで忙しいんだろうし。
 丁度六の境目の日(フォル・デナンテ)だしさ。スヴァル(水汲み)とかゲヘルダ(東の儀式)で、黄昏時(マルゲット)修養(アドヴァ)も集中いるらしいし」
「……はい?」
アレックが口にした複数の専門用語に混乱し、一応分かっているらしい王女とフェイダ以外は目を白黒させた。
「……よく知ってるわね」
感心した顔をしながら王女。フェイダがその傍らでうんうんと首を縦に振る。
「そうか? ……そんなもんかなあ」
「そうだよ。知ってたとしても、そんなすらすら滑らかに言えねえって、普通」
「え、そう?」
少し不思議そうな顔でアレックが首を傾げる。
「そうだよ」
「そっか」
アレックはあっさりと頷いたが、しかし自分の特殊性を認識しているようでもなく、ほけっとした顔で、ふーん、と俯いて考え込むように腕を組む。
「……いや、お前な?」
「ん?」
「本当にどーやって知ったんだよ」
「いや、分かんない。常識だと思ってた」
「常識?」
ナスカは辺境だが、ラーグ教の敬虔な信徒でもいるのだろうか。
そう思ってヴィブラートの方に一行全員が目をやるが、
「いや、俺知んないし。大体うちはフォーティア信仰がかなりの割合占めてるから、そんなのラーグ教の教会の司祭ぐらいしか知らないし」
「じゃあ、何で?」
「何でだろ」
「どうでもいいだろ。俺が少し変ってだけなんだから。それより、俺たちどこに泊まるんだ? 神殿の中でないなら宿屋取らないと。この季節はこの街参拝客で一杯なんだから」
自分の奇妙さなどどうでも良い様子で別の事を気にするアレックの返答に答えたのは、フェイダでなくヴァルム付きと思しき神官だった。
「ああ、それに関しては、神殿にそれぞれの方に個室を用意してる……と思います。忙しい故簡素な部屋しか用意できなかったそうですが、寧ろそちらの方が快適だと昔から仲間内で言われていた部屋ですから、ご安心を」
「そーそー。あのごてごてした部屋は息詰まるぞ。だから俺はいつもこれの部屋に押しかけてなあ」
「だ、黙って下さいってば!」
叫ぶようにオッサンに言い放つと、神官はえへへとぎこちない愛想笑いを浮かべ、
「もうしばらくお待ち下さいね。多分案内のものが来るはず……ってああ!!
 吐くのならトイレですよ! ここは駄目ー!」
神官がオッサンを引きずり、一礼をして出て行った。
「大変そうだな、アイツ」
「なあ……」
人の良さそうな、けれど気弱そうな顔の神官への同情の念が、一行の間に満ちていた。

***

「……さて」
ヴァルムの吐く音らしきものをトイレの外で聞きながら、神官は顎に手を当てて考え込む。
「どうしたものかね、あの『勇者』一行。
 知恵の回りそうなのもいるし……」
その茶の瞳が、微かに緑に染まり、すぐ元に戻った。

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