想い

〜鈍く、素直でなく。それでも。〜

恋は突然にやってくるのだという。
恋はゆっくりやってくるのだという。

どちらなのかは、人それぞれ。
ただ確かなのは、どちらでも結局誰かを想うという事だ。



私が城に来て七日が経った。
夏の課題は夏祭りまでに気合いを入れてあった上に、外に出るわけにも行かないらしいのでオールコンプリート。どこそこを見学に行ってこいというレポートは、王宮の図書館に行けば行くより詳しい資料が手に入った。
母さんの風邪も、当初は熱が高かったものの、王宮の医師の治療のお陰か、二日で完全回復した。
エリックは仕事に追われている。あのテロで、何の因果かエリックへの批判が相次いでいたり、まあ色々あるそうだ。
早い話が暇だ。城で働く人々も、そりゃあ昔からの馴染みの人達は優しいけれど、やっぱり新しくはいった人達もいるし、こっちも、あっちもお互い遠慮し会ってしまう。
というわけで、私はただ今図書館に入り浸っていたりする。



「ああ、ソフィアちゃん。いらっしゃーい」
古株の司書のココルおばちゃんの挨拶に答えて、私はカウンターに昨日借りていた本をどさりと置いた。
彼女は声とかは大きいけれど、どうにも憎めないおばちゃんで、昔から私はいい人だと思っている。
「ああそうそう、今日からルーフェルが復帰したんだよ。まあなにしろ悪魔族だからね、丈夫なのさ」
ココルおばちゃんが太り気味の体を揺らし、水色の瞳を細めて眼鏡を押し上げながら言う。
悪魔族。
天使と同じく、昔世界に人と同じぐらいいたという伝説の種族、悪魔と人間の混血族。
今は純天使も純悪魔も、目撃はされているものの、まともな数は生存していないけれど、混血だけはどちらも根強く残っている。ただ、殆ど人の血が濃いらしいが。
まあ、五百人に一人はいるらしいし、そんな珍しくはない。
でも、あの毒まで入っていた傷が数日で治る程、悪魔の血の特色が残っているという事は、血が濃い方なのだろうか。
そう思っていると、ルーフェルさんが奥から出てきて、元気そうな顔で挨拶をしてくる。
「こんにちは、ソフィアさん。どうも〜」
至極平和そうに、ほのぼのとした様子は、とても刺客に襲われるような感じではない。傷も見あたらなかった。
「ホントに回復してる……」
「そうよ! うちのルーフェルはあれしきでくたばるようなヤワな奴じゃないの」
ルーフェルさんの後ろから、フィンさんが出てきて自慢げに言った。手にはルーフェルさんが運ぶはずだったであろう本を持ちつつ、無駄に高飛車に。まあ、何というか……そういう人なんだろう。多分悪い人じゃないと思う。ディルカ伯の事で色々辛いだろうに、割り切ってこんな話をしているのではないだろうか。
「それよりソフィアルティアと言ったっけ、貴方殿下の恋人じゃないの?
 どうして殿下と一緒にいないのかしら」
「恋人じゃありません、幼なじみです!」
私がエリックの恋人だと信じて疑わない二人に、幼なじみだと再認識させるのに二十分を費やす羽目になった。



職員用のコーヒーを優雅に一気飲みし、一息ついてフィンさんは口を開いた。
「……まあ、貴方が殿下の恋人ではないというのは十分に分かったわ。
 で、いつ告白するつもりなの?」
「分かってないじゃないですか!」
只の幼なじみだと言う事は分かってくれたけれど、今度はどうやら私がエリックに気があるとふんだようだ。
「どうしてよ。私はまあルーフェルに掴まったけれど、客観的に見て殿下は最高の物件よ。
 それと幼なじみで、どうしてガッツリ喰ってしまわないのか、甚だ疑問であってよ」
ガッツリ喰うって………。
「ぁ、因みに俺はガッツリ喰ったクチね」
「だまらっしゃい!」
ピシャリと言ってはいるけれど、顔真っ赤ですよ。流石は恋人同士。お熱いですね。
「でも、確かにそうだね。殿下は俺から見ても格好いいよー」
フィンさんの一言をものともせず、穏やかにルーフェルさんが私にそんな事を言う。
「だから、そうは思えないんです!」
あんなアタックな迷惑野郎。
「うーん。………成る程ねぇ」
ふむふむ、と何か分かったような顔でルーフェルさんがいきなり頷いた。
「何が成る程なの? 単純な男のくせして、分かった振りしないで頂戴」
「うん? じゃあ、フィンには分かったの?」
「・・・」
フィンさんが俯いて黙り込む。
「フィンは可愛いねー」
ほのぼのとルーフェルさんが言った。どうもこの人はこういう人らしい。
「……さっ、さっさと言いなさい! 順番を譲ってあげるんだから!」
赤面しながらフィンさんがルーフェルさんを急かした。ルーフェルさんは、うんー、と答え、もったいをつけるな、とフィンさんに目で脅かされてやっとその“気付いた事”を口にした。
「ソフィアさんって、素直じゃないんだねー」
「それぐらい私にも分かるわよ!」
ええ、私も自覚してますとも!
そんな私達の反応を見て、ルーフェルさんは性懲りもなくにっこり笑って、まだあるよ、と続ける。
「殿下はね、一級品過ぎるんだ。だから、ソフィアさんは自分と到底釣り合わないって思ってる。俺に言わせればあんなのに対抗出来るのがいたら見てみたいよー。
 だからソフィアさんは自分に自信がないし、素直になれない。
 でもまあ、殿下にとってはそんな事どうでもよくて、ただソフィアさんが好きなだけ。
 よくある話だよ。フィンが自分が貴族の娘だからって俺への愛に素直じゃなかったみたいに」
どきん、と胸が跳ね上がる。
「余計な事は言わない!」
「はーい」
そんな二人の声が何処か遠くで聞こえる。
最後にルーフェルさんが一言、一度素直になってみた方が良いよ、特に、自分にね、と言ったのが妙に印象に残った。



「とまあ、そんな感じだったよー」
個別読書室にずかずかと入ってきて、事の顛末を子細漏らさず報告し終えたルーフェルが穏やかに笑う。
「ルーフェル=スィルガ……貴様、なんだかんだ言って良い性格しているな」
呆れてため息をつきながら本を置くと、
「そうかい? 君には敵わないけどね。レコン=ブラック」
と言う多少含みのある答えが返ってきた。
「……俺は、お前のように本性を隠しているつもりはない」
「この図書館の本を配列も全て暗記でき、読んだ本は空で暗唱出来るほどの頭を持っていながら、部下の口車にいつも乗せられて怒鳴ったり、あえて騎士の試験を受けたり。それは立派な本性隠しだよ」
「それは私の夢と性格の問題だ。大体、頭が勝手に知識を吸収するんだ、仕方がないだろう」
そう言い返せば、また奴特有の含みのある笑顔。
主に本にしか興味がなかったからだろう、空いた時間に気が向き、図書室に不定期ではあるが通うようになってから、俺はルーフェル=スィルガとよく話すようになった。
一応その前から知り合いではあった。騎士団に入る前に働いていた万屋の主の知り合いだったので、その関係でお互い知っていた。
その含みのある笑顔が一番印象に残るという個性的な奴だったが、フィン=ディルカ嬢に出会って落とすまでの手腕は見事なもので、その間彼女の事を話す時は何とも無邪気で、意外な面を見せつけられたものだ。
どうしてそんな性格になったのかは詳しくは分からないし、調べるつもりもない。その代わりあちらもこちらに必要以上に踏み込んでは来ない……と思う。
そしてただ今、フィン嬢の婚約者様は殿下と普通の町娘・ソフィア嬢の恋物語に関心を置かれている、というわけだ。
この腹黒男本人によれば『だって面白いじゃないか』だそうで。無害なのが唯一の救いではあったが、最近ソフィア殿がよく図書室に来るようになって、で、ズバリとソフィア殿の繊細な心の中を言い当ててしまったのである。私は見守っておこうと思っていたのに。
で、さっきの会話に至る、と。
因みに俺の暗記力は昔貧乏だった為に図書館に行って本を借りるしかなく、しかも父に連れられて全国を回っていた為に、さっさと頭に入れて返し、少しでも読みふけろうとした事に起因する。今では一度読んだ本の内容は完璧に覚えられるまでになった。ついでに色々と『覚えよう』と強く思った事はある程度まで覚えられるようになった。
でも、それが頭が良い事には繋がらない。そりゃあ3桁の数字同士の掛け算ぐらいは暗算で出来るが、まあそれだけと言えばそれだけ。物理法則や数学も一応解けても、それは本に頼っている……つもりだ。どの本かは分からないが、論理的に考えていけば解ける、それで良いと思うのに、ルーフェルは事ある毎に今のような事を言う。
っと、関係のない事はこれぐらいまでにしておいて。
「で、ソフィア殿はどうすると思う?」
そういう事の予想はこの腹黒の方が得意だろう。
「一週間以内に殿下に告白するに10Sr(シェラ・1シェラ=約百円)」
「賭は禁止だ」
固いね、とルーフェルが肩をすくめた。
それから、本当は、まだまだ素直になれないに20Sr、と付け加えると、君こそ良い性格をしているね、と言われ、そのあと、ルーフェルが真面目な顔になって、どっちにしろ幸せになって欲しいね、と呟いた。
同意すると、君もだよ、ルクスちゃんがいるじゃないか、と言われた。
わけが分からなかったが、それ以上にルクスが女だという事に気付いていたのに驚いた。



私が生まれた報せが来た時、エリックの父さんと母さん、つまり王様と王妃様は、日頃寂しい思いをさせているエリックとの休みを使って、友達にでもしようと思ったのか、生後一ヶ月の頃にエリックと私を対面させた。
で、その時私を腕に抱いたエリック三歳の口から飛び出した言葉が、
『この赤ちゃん、ちょーだい』
なんていう、人権無視すれすれの発言だったわけだ。
本人によると、その時の事を愛の力でちゃんと覚えているそうだが、本当なんだか。
そんな感じで、エリックは度々父さんと母さんに会いたいとごね、会いに来たり、呼び出したりしては私をずっと見ているようになったという。
時には手を握ったまま眠り込んでしまったり、いっちょまえにミルクをやったり、それはそれは面倒見の良い3歳児だったのだという。
そのまま私はすくすくと成長し、当然のようにエリックに懐いた。エリック兄ちゃん、エリック兄ちゃん、とそれはそれは嬉しそうに、楽しそうについて行く姿は、大層可愛らしかったんだよ、と城のメイド長さんが言っていた事もある。
だって嬉しかったし、楽しかったのだからしょうがない。丁度その頃が私の物心のつき始めの頃だった。
そしてその頃、王様と王妃様は多忙を極め、殆どエリックに会う機会が無くなっていった。
仕事が終わったら急いで帰ってくるのに、また仕事が連続して起こってくる。
私は城に入り浸っていたから、それで落ち込んでいるエリックの姿をよく知っていた。祝日などの行事のみならず、誕生日すら会えない事が多かった。
そしてその度に私は頑張って、どうにかエリックを励まそうとした。単純な励ましでは効果がない事は段々実感し、エリックの部屋の物をいじったりして、気を逸らそうとした。
そうだ。
エリックがそんなに両親の事で荒れなくなったのは、確か、私が五歳か六歳、エリックが八歳か九歳の時のエリックの誕生日からだ。
エリックはその前日、おばさんとおじさん(王様と王妃様)と、誕生日を一緒に祝えるのだと言ってはしゃいでいた。なのに、その当日、結局テロが起こって、エリックは一人で虚しく、一生懸命準備した誕生会をやらねばならなくなった。
だから、私はおじさんとおばさんの都合がつかなくなったと聞くと、すぐ駆けていった。エリックが辛いかも知れないから、どうにか誤魔化して、悲しくないようにと、そう思って。
そうして、エリックに、ケーキを食べようとごてた。一緒に誕生日を祝おうと。
でも何もエリックが言わないから、心配になってその顔を覗き込むと、いきなり抱きしめられたのだ。
それから、かも知れない。エリックは段々と親から離れていった。その分私を可愛がって、好きだといつの間にか言い出した。
私はエリックが大好きだった。だって他にあまり男友達もいなかったし(ダフィラシアス=テルブは別)、とてもエリックは優しかったから。
だから、あんな風に、きつい言い方でやり取りするようになっても、大好きだった。
恋だとかそんな事、考えもしなかった。



「『この青き男の心、どうかそのままお聞き下さい。私にとっては、たとい許されぬ物であろうと。ああ、貴方は薔薇にして水月、最高の美』」
「『蒼き水に映る月』……サットゥールですか」
「お前、文学的な知識だけは山程あるよなあ。何で騎士になったんだ?」
「先刻も殿下と同じ事を友人に言われました」
「・・・そうか。やっぱみんな考える事は同じなんだな」
友人。図書室の司書さんだろうか。まさかあのおばちゃんじゃあないだろうな。
あのおばちゃんには色々知られてるしなぁ。メイド長とも親友らしいし。
でも、何となくあのおばちゃんとはレコンはそこまで親しくならないような気がする。
と言う事は、他の司書って事かな。まさか、ルーフェルなんかあり得ないだろうし。あいつ、典型的なボケっぽいもん。
兎に角、レコンの知識には感心する所が多い。今の様子では考えもつかないが、幼い時体が弱く、その為、本を読むしかなかったなんて言う経歴があるらしいし。
温室育ちの王族である俺とほぼ対等な文学的知識をもつとなれば、かなりの物なのに、最近はそれ以上になりつつある。
歳が6歳程も違うと言えばそれまでだけど、内容すら殆ど覚えてるし。
なのに剣の腕ももの凄い。
とすればかなりの金持ちの息子かと思いきや、貧しい流れ者の生活をしていて、病弱でなくなってからは働きづめ、学校には行っていても、勉強にはやっとついて行っている状態だったという。その間に前科を負った。
父親が人形職人として有名になってからも、真面目に働き、首都に上京し。
そうして騎士団に入り、俺と出会ってここにいる。その間に兄は有名な脚本家に。
そこら辺のサクセスストーリーもかくやと言う程の立身出世。しかもきっちり本人の苦悩と努力有り。
………何で騎士になったんだ? これ程の運があれば、高級官僚、大会社の幹部にだってなれそうなものを。つーか、家でぐうたらしてたって良いんだぞ。
でもこいつにかかればそんな意見、
『私は剣術が好きだっただけです、それに家にいても何にもならないでしょう? 自立はするべきなのですよ』
という正しそうな論理で叩き伏せられてしまう。
出来た護衛だ。本当に。こんなのに忠誠を誓って貰った俺って、運が良いのかも知れない。
そこまで考えを巡らしながら、書類を処理していく俺。事務的にひたすら手を動かす。それでもチェックは入念に。自分で言うのもなんだが、優秀だなあ、俺。
……だからと言って、ソフィアを落とせるわけでもないけど。
可愛いソフィア。ずっと傍にいて欲しい。いや、それだけでなく彼女の心も何もかも手に入れたい。どんな手を使ってでも。
でも、卑怯な手とか、そんなの使ったら怒られるし嫌われるし。第一嫌な思いはさせたくないし。『渦』のこともある。
それに、色々考えようとしても、ソフィアに会ったら思わずああいう態度を取ってしまう。だってホントに可愛いし。でもソフィアは本気にしてくれないし。
そんな事を考えながら、書類をめくって判を押して。
そして一枚の書類が目に止まった。横の書類の山にもある、騎士団関連の薄紅色。
俺のサイン、そしてレコンのサインを求めるようになっている。
………ああ、くそっ。
こういう時、俺は思う。
俺は運が悪い。レコンは、部下として優秀だけれど、こういう書類を渡すのは気がとても引けてしまうから。



まあしかし、ソフィア殿は鈍い。特に、自分の気持ちに。
私、レコン=ブラックは殿下と共に書類を処理しつつ、心の中でそう断じた。
殿下の護衛をする中で、ソフィアルティア=ガランディッシュという人物が大体掴めている。
自分に自信が無く、素直ではない。思慮は深い方だと思うし、優秀だが、どうも殿下という規格外の優秀さを誇る人が傍にいるので自分の価値をいまいち掴めていない。そして自信をなくす。
謙虚と言えば聞こえは良いが、それなりに由々しき問題であると私はふんでいた。その点はルーフェルに賛同だ。
しかし、意外と芯が強く、逞しい。夏祭りで殿下を庇ったというのには感心した。
………と同時に、彼女は絶対殿下に惚れてるだろう、と確信した。
ただ、自覚していないだけなのだ。全く持ってもどかしい。
そしてもう一つ、ルーフェルの一言でソフィア殿が御自分の気持ちに気付いたとしても、問題がある。
エリック王子がこれまた鈍い。特に、彼女の気持ちに。
自分の気持ちはしっかり自覚しているくせに、彼女の気持ちとなると途端に普段の判断力、心を読む話術などが抜ける。自信を無くす。
自信がないからこそ勉学に励み、自信をつけようとする。そしてソフィアさんが自信をなくして逆効果。
これは寧ろ見ているこっちがもどかしい。
そんな事を考えていると、『渦』を見るとか、そんなものは止めといて強引にくっつけてしまいたくなってきたが、その策も思いつかない。
思わずため息が出た。
「レコン、疲れてるのか?」
それを聞き、殿下が気遣って下さる。
殿下の執務用の机は私の卓袱台より頭一つ程高い。だから私は殿下を見上げて答えた。
「いえ」
「そうか」
「そうですね」
「どっちなんだよ」
顔を顰める殿下に、体力的には大丈夫ですが、あなた方のスローな恋愛とルーフェルの行動に疲れてます、なんぞ到底言えるわけもなく黙っていると、殿下は思い切ったように見ていた書類を取り上げて頭をかかえた。
薄紅色。我々に関するものか。
「……まあ、お前にも頭の痛い結果になったな。
 部隊の奴らの中に密偵がいたんだから。でも、それはお前の責任じゃなくって、人事を担当した俺の責任だから」
我々の中にも裏切り者がいた。下っ端だが、我が十三番隊は人数も少ない。重要な情報はちょっと工夫すれば手に入れられる。そうでなければ夏祭りの中大胆なテロなどしなかったろう。
「慣れています。私が隊長に就任してから、そう言う事は二度程有りました」
書類にサインを書き込みながら告げると、殿下は私の顔をなんとも言えない面持ちでじっと見つめ、
「でも、助かったよ。お前の人柄のお陰で」
そう言って頭を下げた。
どういう事か分からず一瞬混乱すると、
「夏祭り以外に、かなり俺達が無防備になった時を知ってるか? ウィルードジョイランドだよ」
ああ、あの恐怖のジェットコースターやら、悪趣味な骸骨が転がっているだけで何の変哲もないお化け屋敷がある所か。因みに私はジェットコースター地獄からは逃げた。殿下の護衛をしておかねばならなかったし、もし不覚にも酔ってしまったら、他の奴らの面倒も見れない。
まあ確かに、あの時は隊の中でも特に規格外と言われる私が付いていたにせよ、護衛がいなくて無防備だったろう。
「そん時にどうして襲わせなかったか、って事。
 どうも、スパイ六人のうち三人がお前の人柄にほだされて、向こうの組織を裏切ったらしい。
 で、嘘の情報を流し続けてたんだけど結局ばれて、夏祭りに俺達が襲われるのを防ぎきれなかったそうだ。
 その報告が上がってる」
そう言えばどさくさに紛れて私に斬りつけてこようとしたのは三人だけだったような気がした。
上に手を差し出して、殿下の手から書類を受け取る。
その氏名を読むと、三人の思い出が頭をよぎり、熱い物が胸にこみ上げてくる。
そう言えばこの三人、初めは何処か上の空で、よく説教したものだ。
信用していた部下だ。

だが、スパイだという事を告白せず、我々を欺き続けてきた。

ペンを取って、書類にサインを書き込み、そして殿下に渡す。
「……お前」
「信用していた部下です。ルイル達なら、許すでしょうね。
 ですが世の中、そう一筋縄ではいかんのです」
彼らの罪は、軽くはなった。死刑にはならない。けれど、懲役二十年、それからは一生地方で暮らさねばならず、逐一裁判所などに報告をあげなくてはならない。一生国に縛り付けられる。
その書類に、承諾のサインをした。
ルイル達、うちの馴染みの隊員達は嫌がるかも知れない。けれど、罪は罪。償わなければならない。
本当は、私だって嫌な事は嫌だけれど、最早この三人は無用ということなのだ。
「この判断が間違っているかどうかは、本人達が決める事です」
殿下の顔を真っ直ぐ見つめてそう告げると、殿下はいきなり机に突っ伏した。
そのまま顔だけ上げて、悄然とした顔でため息をつく。
「ご免な」
その一言が頭上から落ちてきた。
本当に良い上司……いや、主だと思う。
私は苦笑すると、いいえ、と返事を返した。

ソフィア殿。貴方が好きで、貴方を好きな男はとても良い人だ。いや、貴方のお陰なのかも知れない。
やはり、二人は離れてはならないのだと再確認する。恋とは偉大なものだ……。
そこまで考えた所で、何故かあるものが頭に浮かんだ。

いきなり首を傾げた私を、殿下が怪訝そうに見つめるので、笑って誤魔化しておいた。
分からん。
どうして、ルクスの笑顔が頭に浮かぶのだ?
さっきのルーフェルの言葉といい、不思議なものだ。



ぐるぐるぐるぐる、考えが回る。
さっきからずっと私は自室のベッドの上でじっと考え続けていた。
私の、エリックへの気持ち。エリックとの想い出。
そんな事を考えていたら、また体が火照って、胸も息苦しくなって。
止めようとも思うけれど、どうにも止められない。
苦しいのに、でも考えるのを止めるのは嫌。
エリック。傍にいるのが当たり前の、大切な人。でも、身分も頭も力も違う。
それで私は素直になっていないという。なら、素直になれば、私のこの気持ちも分かるのか。
分かるんだろう、多分。そして、その答えは……。
でも、でも、でも………。
なんだか胸がぐるぐるして、ベッドの上で寝返りを打つと、
「ふむ。悩んでるねえ、ソフィアさん」
ベッドの上に、頬杖をつき、すかした笑顔で微笑む、ルクスさんがいた。
「うわぁ!?」
「なんだい、人を化け物みたいに。俺だって傷つく時は傷つくのだからね」
ルクスさんが口をとがらせる。
ならわざわざ気配を消して人のベッドに上がり込まないで欲しい。
「何でこんな所にいるんですか!?」
そう聞くと、
「何でって、君の護衛さ。今までやってたんだけど、やっぱり屋根裏だけじゃつまらないからね。ちょっかいでもかけようかと思ってね」
悪びれなくそう返された。
図々しい事この上ない。反論しても梨の(つぶて)だろう。なのに不思議と憎めないときている。この人ある意味最強だ。
「そうしたらまあ都合の良い事に、思春期っぽく悩んでるじゃないか。もうこれは話を聞くしかないと思ってね。
 さて、ではちゃっちゃとその悩みを話したまえ」
ぱんぱんとベッドを叩きながらルクスさん。この人には遠慮というものがないのだろうか。
でも答えるのはいやだ。恥ずかしい、と言うか、話しようがない。
「どう言ったらいいのか分からない悩みなんで、別に気にしないで下さい」
「ああ、殿下の事か」
この人、超能力者だろうか。
「うんうん、恋の悩みとはまたしびれるね。取り敢えずさくっと殿下に告白してしまいたまえ」
だからどうしてみんなそんな事を言うんだろう。
「恋がどんなものか知らないから、悩んでたんじゃないですか!」
「君が殿下に感じている気持ちそのものさ。鼓動が早くなるし、時に妙にくすぐったくなるし、自分たちの違いで悩んだりして、体が熱くなる。
 友達に感じる感情とも違って、親に感じるそれでもなし。
 まあしっかし鈍い事この上ないね。俺から見れば見れば一目瞭然なのに、何を悩んでいるんだか」
呆れた様子でルクスさんがため息をつく。
でも、即答での答えは、十分な説得力を持っていた。
友情じゃない。家族愛とも違う。胸がドキドキする。時々妙にくすぐったく。そして体が熱くなって、悩む。
全部当てはまりますとも、癪な事に。
でも、本当にそうなのか分からない。それに、恋だとしても、その後どうすればいいのか分からない。
だって相手は幼なじみだけど王子だし。私はしがない町娘だし。
ああ、また頭がぐるぐるぐるぐる………。
「はい、ドツボにはまらなーい!」
パン、と目の前で手を叩くルクスさんのお陰で我に返りはしたものの、でもやっぱり落ち着かない。
「全く。ここまで来るとはね、しかし」
ルクスさんが顔を顰めて頭をかく。
「あの……?」
「ソフィアさん。ちょっとツラを貸したまえ」
はいもいいえも答える暇無く、私は襟元をひっつかまれて、ルクスさんに引きずられていく。
何処に行くつもりなんだろう?
しかもどうして、この人ってまるで女の人のような良い香りがしてるんだろう。



………呆れたよ。
こればかりは、本当に。
私、ルクス=シェランはソフィアさんを引きずりながらため息をついた。
まさか、ここまでこの子が鈍かったとは、思いもしなかったから。
他の事は鋭いって事は、何度か秘密裏に護衛した事あるから分かってるんだけどね、鈍い。
殿下の気持ちにも、自分の気持ちにも。
殿下はソフィアさんの考えている障害など、障害にすら考えていない。それほど殿下の愛は強い。人としてはレコンの方が出来てるけどね。
ソフィアさんと話す時の、あんな巫山戯てそうな素振りの時でも、本気でものを言っている。
それを、彼女は知らない。
そして、自分の気持ちを素直に認めようとしない。
・・・ああ、そうか、これは鈍いと言うより素直じゃないって事か。
どっちにしろ、やる事は同じ。
ソフィアさんは戸惑っているようだけれど、兎に角実行あるのみ。
王宮の中心部、王子の部屋の二つ隣にある十三番隊専用の控え室へ行く。
そのドアを開けると、レコンが少し沈鬱な表情で椅子に座っていた。
「……レコン、何かあったのかい?」
珍しい事もある。レコンは真面目だから、仕事の事で何かあったのかも知れないけれど。
「……ああ、ルクス……っと、おお!?
 お前、ソフィア殿を引きずっ……!?」
私が引きずっているソフィアさんを見て、レコンが目を丸くした。
「レコン。休憩はいつまでだい?」
「後二分だ」
「そう。手伝って欲しい事がある。どうもこの娘は鈍すぎるから」
レコンは戸惑いながらも頷いた。



鈍く、素直でない想い。
それでも、それは恋なのだ。
………厄介な、そして微笑ましい事に。



第十二話 おわり
第十三話:自覚 に続く

よかったら感想をどうぞ。無記名でも大丈夫です。

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