下町娘とエセナルシスト

〜呆れた奴ら〜

すれ違い、思い違い。
厄介な事だけど、それは仕方のない事だ。

区切り

幼いルパート=セイルにとって、クララは大切な友達だった。
父は彼に関心がない。体の弱い跡取りなんて要らないからだ。
母は彼に関心がある。体の弱い子供の母親を演じたいから。
それをルパートは知っていた。唯々諾々と受け入れる程『物わかり』は良くなく、けれど批判する程の歳でもなかった。ただ、それを肌で感じ、心の中で、醜い、と思ってはいたのかもしれない。
だから、親は好きではなかった。ルパートは美しいものが好きだったから。
その点、クララは容姿も可愛く、声は鈴が鳴るようで、ルパートにとって綺麗な、そして大切なものだった。

そして、ある日。
クララとルパートは外に出かけた。森林浴を楽しんだ後、二人は軽い気持ちで、お付きの者をまき、森の中に入った。
迷う事はなかった。随所に紐を括り付け、印を付けた。
だが、それとは無関係に、それは起こった。
落石である。
幸い二人に当たる事はなかったが、二人は近くにあった洞窟に逃げ、そのまま出られなくなった。
落石が洞窟の入り口を塞いだからだ。
二人は暗闇の中に閉じこめられたのである。
こういう場合、小説や劇などでは、男は非常に頼れるものである。しっかりと女を励まし、元気づけ、ついでに惚れさせる。
が、現実はそんなものではない。
二人はまだ幼かった。ついでにルパートは育ちが良く、決して頑強ではない精神を持っていた。
しかも一般的に見て、男はこういう時ヘタレであり、女は合理的で逞しい。
要するに。
ルパートは錯乱した。もう目一杯混乱して鳴き声を上げ、クララどうしよう、このまま死んじゃう、うわああぁ誰か助けてー、なんて言葉を叫びまくった。
傍にいたクララはたまったものではなかった。彼女は落ち着こうとしていたが、不安だってある。それに気づくことなく、容赦なくいつも頼っていたルパートが叫び、錯乱する。

クララは喋れなかった。ルパートに話しかけても効果がない。
クララは恐かった。いくらルパートが叫んでも助けが来る気配がない。
声を出してもどうにもならない。暗闇は容赦なく迫り、じめじめした壁が彼女を追いつめる。
恐怖と錯乱と絶望と哀しみと混乱と、全てが胸から離れない。縋るべき者もいない。

そして、助け出された時、やっとルパートは平静を取り戻し、クララを気遣った。
けれど、その時既に、クララは声で答える事が出来ないようになっていたのである。



「……だから、クララが俺を好きなわけないんだ」
卓袱台の横のソファで話し終え、尚しょんぼりしているルパート。
執務机の殿下はなんでもない顔で、
「いや、それ間違ってるでしょ。確かに二十分の一ぐらいはおまえのヘタレさ加減が原因だけどさ」
すぱっと言い切った。
「……あの。俺の話聞いてた?」
「聞いてた。確かに不可抗力な事もあるけど、しょうがなかったと慰めて欲しいわけでもないんだろ、お前は。
 で。客観的に判断して、だ。
 ルパート=セイル、お前の思いこみ大間違い
あっさりとした顔で殿下。
職業柄か、はっきりしていらっしゃる。
「お前の好きなクララというメイドはどんな奴なんだよ。
 ガキの頃の事をネチネチネチネチ根に持って、生きてく能力がないわけでもないのに自分の生活の為に体売ってスネかじるような女か?
 そんな女、恐いだろうが本気で。
 てか、レコンが前に言ってたぞ。女は男の事なんてお見通しだって。て事は、お前が悩んでるのを影でほくそ笑んでる可能性もあるんだぞ」
「私はそこまで言っておりませんが」
「俺を鈍いっていったもん」
だから文句言うな、と言うように、殿下は頬をふくらましてそっぽを向く。
拗ねているようだ。
こういう所はあのクソガキ・エリック時代から、全く変わっていない。
「そういう事は関係ないでしょう。ただ、男は単純である傾向がある、という意味で言っただけです」
「……ま、とにかく、だ」
ぁ、話を強引に元に戻した。こっちこそ拗ねてしまいたい気分かも。
「お前がそんな女だと分かって惚れてたら、十八歳思春期真っ最中、かつ純潔にして純情な青少年たる俺にはどうにも手の出しようがない。人生経験があまりにも足りない。てか各々の嗜好の問題だ。でもそんな事ないだろ」
SとかMとかの、とは流石に言わないか。
まあルパートは自称Nだが、その上それらが追加されると確かに殿下の手には負えない事だし、そもそもクララさんが恐い性格になってしまう。
あの子はそんな子ではない。ルパートや殿下が抱いているであろう、優しげなイメージとは大違いではあるものの、一途にちゃんとルパートを想っている。
……そういえばあの子の性格、知ってもルパートはそのまま好きでいるだろうか。
でも多分、ルパートに振られたとしても、あの子は諦めないだろう。
……さて、この件、どうしようか。
今のところ、殿下に叱られるのは嫌だから、見守ってやるつもりだが、ややこしくしてみるのも楽しそうだ。
殿下の説得力ありそうな話が紡がれるのを聞きながら。
俺は、密かに頬を緩ませた。

区切り

「……まだ、小さい声でしか話せないんだよ。
 アイツを驚かせてやろうと思ってたんだけど、まさか先に男装の麗人様に気付かれるとはね」
酷い下町訛りが耳に付く。キラリと瞳が不敵な輝きを放ち、唇の紅がやけに目についた。
生まれが貴族だから、当然貴族の言葉に慣れている私には、少し耳慣れない。
これでもレコンが時々使うスラングにだって慣れたつもりだ。セイルの家は少々東にあるというし、方言でも入ってるのかも知れないけれど、それでもきつめだと思う。
しかしまあ、こんな感じの性格で来るなんてね。
ばさり、とクララは髪をかき上げ、艶めかしい仕草でため息をつく。
おとなしそうだった雰囲気は一変し、意志の強さとあざとさ、若干の活発さが加わり、到底『頼りない』などとは言えないオーラがまわりにゆらりと漂っている。
「……君、凄い猫を被ってたんだね」
「エサが要らないからね。楽なもんさ」
黒い瞳を細め、ふん、とくえない笑み。それでも声は若干かすれていて、小さめ。
ああ、ソフィアさん驚いてる驚いてる。
さっきまで私の方を見てぼうっとしていた顔が、今にも叫び出しそうに大口で、驚きを顔いっぱいに表現している。
「さて、と。
 ソフィアちゃん、早く帰ろう。本気で暗くなってきたからね」
「えっ、うっ、あの……」
「なんだい。人の好意は素直に受けな」
しかも姉御肌ときている。典型的な下町娘……というのは偏見かもしれないけど、そんな感じの娘さんのようだ。
「……はい」
だらだらと額から汗を流し、栗色の瞳を見開きながらソフィアさん。
何とか落ち着こうとして、手の平の上に丸ばっかり書いている。確か、そうすると落ち着くというまじないだったっけ。でも丸を飲んでないなあ。私は効果があった試しはないけれど。
と。
いきなりその手を止め、ソフィアさんが息を吸い。
そして、はぁっ、と大きく吐いた。
「じゃあ行きましょう」
驚愕を押さえ込み、落ち着いた様子。どうやら動揺をハイスピードで消化させたらしい。
「肝っ玉も割に据わってるねぇ。殿下にはもったいないん……」
げほっ、とクララが咳をする。
「あー……辛いわ。手話で良い?」
声は明るいものの、掠れていて、顔も歪んでいる。
長く喋っていなかったものだから、まだ慣れきっていないらしいと推察できた。
それを察して、ソフィアさんがこくりと頷く。
『ありがとう』
動かされるクララの手。
……私には聞かないんだね。ちょっとむかつくなあ。
『……別に良いじゃない。ルクスちゃんは察しがよさそうだし』
不満げな顔をしてしまったのか、そんな手話が返ってくる。
まあね。その通り、私の観察力は普通の人より若干優れているらしいけどね。
それでも礼儀とか、色々あるじゃないか、と思う。
どうしてこんな、むかつくのだろう。
……レコンに聞こう。自己分析も平行して、やろう。
そう考えながら、歩き出した二人に歩調を合わせる。
いつクララが『話し』始めるか分からないから、彼女の方を向いたままだけどね。
『それとさあ、聞きたいのだけど、良い? ルクス=シェラン』
「なんだい」
『私はこれでルパートといて良いかしら』
「良いんじゃないのかい。セイル家はこのスキャンダルで大変だろうけど、そのぶん身分の拘りをなくせるかもしれないしね。好きなんだろう?」
『まあね。悔しいけれど、あの男以外眼中に入らないの』
あのナルシストにぞっこん、って事か。こんな子なのにね。
「割れ鍋に綴じ蓋、というやつだねぇ。世の中不思議なもんだ」
『男装している人の方が不思議よ』
「んー……」
痛い所をつかれてしまった。
「でも、ほら、私はこれでも似合っているだろう?」
『でも、あなたは女の人としても綺麗でしょう』
「そうかい?」
吃驚して目を見開いてしまう。
――ルクス、お前は美しい。
二度目の旅行の時、さらりと何かの拍子に言ってのけたレコンの声が脳裏によみがえり、それと一緒に気恥ずかしい気分になる。
かっこいい、とか、(男として)綺麗、とか言われた事はあるんだけどねえ。
でもさ。

やっぱりそれでも、誰も、レコン以外、なかなか私が女だなんて、気付いてくれないわけで。
男装しているからだと分かってても、なんか嫌で。
なんだか、切なくて。

だというのに、男装を止めようと思っても、なんだか慣れないしね。スカートなんかスースーして落ち着かないし。
「んー、でも格好良いだろう? 私」
薄く笑いながら、適当にそんなことを言ってみる。
私を軽く睨め付け、クララは前を向いた。呆れとも、哀れみとも、何ともつかない表情とともに。
……多分、嫌な意味ではない同情をしてくれているんだろう。
どうも私は、さぞかし見てられない表情をしてしまったようだね……。
そんな私たちを、心配そうに、複雑な表情で交互に見ているソフィアさん。
可愛いね。とても可愛い。
栗色の大きな瞳に、ピンク色の唇。細くて丸い肩。男とは明らかに違う体型。
欲しかった。
私も、欲しかった。
少し鋭めの藍色の瞳に、綺麗なピンクとはお世辞にも言えない唇。レコンや他の隊員程ではないけれど、がっしりと長年の訓練による筋肉のついた肩。男と見まごうばかりの体型。
そんな自分を否定するつもりはない。今の私は、良くも悪くも私の人生の上で成り立っているから。
けれど、でも。
ソフィアさんみたいな、可愛い姿が欲しかった。そうでなくても、クララのような(一見)優しげな容姿でも良い。
女に見える容姿が欲しかった。
でも。それがあったからこそ、分かった事がある。
前よりは、そんなに胸が痛む事がない嬉しさだ。
レコンが一発で私を見つけてくれてからは、それがとても、嬉しくて嬉しくて、それから、胸が心が軽くなって。
だから、私はそんなに哀しくない。
ああ。今切なくても、それは一時の事だね。
レコンが私を見つけてくれた。それで良いじゃないか。
女の格好をせずに女と気付いてくれなんて、無理だ。それが当たり前の事じゃないか。
「大丈夫だよ。ソフィアさん」
そう言って笑顔を作る。
なんか嘘くさい笑顔になった気がするけど、ソフィアさんはそれで引いてくれたようなので一安心。
「……割れ鍋に綴じ蓋、ね。そっちこそ、ちゃんと蓋を見つけてるじゃない」
掠れかけた小さな声の、囁き。
「え?」
蓋、って?
クララを見るけれども、小さく笑っただけでなにも応えない。
なんなんだい、と首を傾げて。
私は愛剣『シュバルツ』を引き抜いた。
……五、六人。気配の消し方からして、そこそこの手練れ。
ソフィアさんもそれで殺気に気付いたのか、防御と逃走経路の確認体勢をとる。
ソフィアさんは自分の実力を分かっている子だ。気配は分かっても、とにかく逃げる位の力しかない事を知っている。
対するクララも、少しとまどいは見せたけれどもすぐに構えをとる。手には謎の筒。
そして、相手が私たちの行動に気付き、屋根、路地裏、歩行人の中から飛び出してくる。
前衛らしきのが五人。後ろに補助で一人。服装は一般人の中にとけ込めそうな、それでいて動きやすそうなもの。
「ジェーロッド! ユスク!」
魔法陣の刻まれた布をポケットから出して掲げ、呼びかけると、私たちを囲み守る体勢で、我がシェラン家の誇る護衛隊が二人転移してきて、もう一人が闇からさっと姿を現して駆けてくる。
通常ソフィアさんを殿下の命令で密かに護衛する時と違い、今回は『十三番隊の騎士』は連れない代わりに、私はこいつらを連れている。
昔からの私の護衛にして、今は私を守る為もあって十三番隊の末席に所属する、ジェーロットにユスクにザック。
三人まとめて私の1.5倍という実力だけれど、頼りにはなる。なにより私やレコンが苦手とする、魔法が使えるのもいい。
「さて……では、行くよ!」
ジェーロッドとユスクが補助らしき人物へと駆け、攻撃魔法を発動するのを視界の隅に捕らえつつ、向かってきた一人の剣をシュバルツで受け止め、弾く。
うまく衝撃を殺して体勢を崩さない相手へすかさず一振り!
確かな手応えとともに力を失う敵。飛び散る鮮血をかわして後方へ。その勢いのまま体勢を低くして回転しつつ、腰の短剣を抜き、投げる。
左後方からの敵に見事ヒット。でも、刺さった所は急所じゃない!
ソフィアさんはこの中で確実に邪魔にならないよう、そいつが投げたナイフを除ける。クララも同様。
と、背後から魔法の気配!
飛んできた雷撃をかわす。ソフィアさんもうまい事クララと一緒に転がってかわす。
「っがぁっ!!」
クララが転がった拍子に投げた筒が、残った前衛三人のうち一人の傍で炸裂し、その前衛に悲鳴を上げさせる。
というか、炸裂した効果範囲と思しき所が溶けている。
「よっしゃあ!」
クララの気合いが入った声。ルパートは化学好きらしいから、投げた物の大体の予想はつく。おそらく王水か硫酸系のエグい薬品だろう。
さて、残りを。
――どうしようかねえ、と。
そう思う前に。
鮮明・残光・白貌(ザラマ・ベクタ・ドーラ)――風撃業火(ヴァム・ゴール)
聞き覚えのある声が響き、不届き者の一人が閃光と炎に包まれて吹き飛び、道に叩きつけられた。
「何ッ!?」
突然の事にユスクが驚きの声を上げる。
残りの賊一人も動きが止まる。
今だ!
つんとするようなタンパク質の燃える異臭を感じながら、炎からの煙をさけ、賊に走り寄り、叩き伏せる。
隊での常備品である縄を取り出し、賊の手の甲を合わせて素早く縛り上げた。
「ルクス様! 後衛を確保致しました!!」
ジェーロッドの声。
ソフィアさんの方を確認すると、もちろん無事。若干混乱しているようだけどね。
そして私が声を出す前に、あの魔法を放った声が話しかけてきた。
「よ、久しぶりだな、ルクス=シェラン」
「……久しぶりだね」
答えながら、声のする方、ソフィアさんの左を見る。
いた。
流れるような緑色の長髪。端正で、少々尖ったようなイメージがある顔。
そして金に輝く瞳。
ヨルムンガルド。姓はなく、ただヨルムンガルドという名の男。
そんでもってレコンの『しもべっぽい知り合い』。本人はそんな風に思ってないけど、私が知っている範囲では、レコンに逆らうのに成功した事は結局一度もない。
そんな事を知るはずもないソフィアさんがそちらに顔を向け、目を見開く。
「……あれ……?
 ジェルム先生?」
……ん?
『ジェルム先生』?
「よう、ガランディッシュ。無事か?」
「やっぱり、魔法教師のガルズ=ジェルム先生だ!」
あれ。
知り合い、かい!? しかも名前違うし。
「でもどうして、先生がここに……」
「腐れ縁ってヤツでね」
「……誰と?」
「レコン=ブラック、そしてそこのルクス=シェランと……」
そう言ってヤツは笑い、つかつかと焼けている賊に近寄る。
そしてそいつの胸に物怖じせずに手を当てる。じゅう、とヨルムンガルドの手が焼ける音。多分本当に焼けてはいないだろうけど。
そのまま何事かをヨルムンガルドが唱え。
焼けて悲惨な事になっている賊の胸から、ずるりと聞くだけでも粘っこそうな気持ちの悪い音を立てて。
なにか、黒く妖しい光を放つ、カードのようなものを取り出した。
「これに、ね」
ぴっ、とそれから血を払い、ヨルムンガルドは軽く言う。
けれどその愛想のいい、軽そうな表情とは裏腹に、その瞳は真剣な輝きを放っている。
昔戯れに髪を一本蝋燭にかざして燃やした時よりも、強烈な位のタンパク質の焼ける匂いが未だする。
きっちりと顔に戸惑いなどが表れるものの、どこか感性がずれてフワフワしているサリフ=ディルジオ。
悩み事を笑顔などで隠すか、もしくは必要以上に深刻な顔をするゼロ=セロ。
その時の感情によって、くるくる表情が変わるものの、決して油断の出来ない精神を持ち、時々あっさりする程簡単に皆を騙す殿下。
そして、小説なぞによくありそうなこういう表情をして、困難な事態を告げに来るヨルムンガルド。
極めつけに、自分の都合でいけしゃあしゃあと、長いこと一緒にいる私でも時々見抜けない様々な表情を駆使するレコン。
……どうしてこんな素敵に皮肉に屈折した個性的な性格の男共と、私は関わりやすいんだろうね?

区切り
「しみたしみた。でも、擦り傷がいっぱいあるかわりに重大な怪我は一つもないって。
 ありがと、ソフィアちゃん」
「いや、あの、でも」
「ああ、立ち上がらないでいいの。ぐねったんでしょ」
いいから座っといて、とクララが手で示し、ソフィアさんを座らせる。
王城の医務室備え付けの椅子が、再び座り直したソフィアさんの下でぎし、と音を立てた。
あの後、私たちが駆け込んだのは王城医務室だった。
騎士団の寮の私の部屋の二倍はある大きさで、各ベッドのしきり、壁紙、床、全て清潔な白。天井はよくある不規則な点々の散らばった模様の石。
段々時間が経つと、クリーム色で、様々な色の違いがあることが分かってくるのだけれど、色があるのは担当の医者達の私物を乗せた机と、私たち患者だけのような錯覚に陥りそうになる。滅多に使われない端っこのベッドの横には、古の英雄の血を吸った壁があり、夜な夜なそこからうめき声が聞こえてきたり、血の染みが浮かび上がってきたりする、などという怪談もある。
私たち騎士を含め、城で働いている者達がいつもお世話になっている部屋だ。
「もう少しで殿下達が来るから、お姫様抱っこでもしてもらいたまえよ、ソフィアさん」
その壁を背景に座っているソフィアさんに目を向け、ウインクして悪戯にそう言ってみると、
「へぇっ!?」
ソフィアさんは顔を真っ赤にして叫び、
「あ、いいじゃないか、それ。……げほ」
『王道だねえ。王子様に抱っこされるオンナノコ。
 青春純情物語ってか』
クララは途中から手話に切り替えながらも顔を輝かせ、きししし、と白い歯を見せる。
それで更にリンゴのように赤くなってゆくソフィアさん。
ああ可愛い。私が男だったら一発でノックアウトだね。
この子に殿下が惚れるのも分かるよねえ。これで芯が強くて意地っ張りだから、男としちゃあたまったもんじゃない。かなり気を遣って若い過ちを犯さないよう、耐えてる所が殿下らしいけどね。
そういや、レコンはそういう嗜好とは反していたっけね。別にソフィアさんみたいな人は嫌いではないのだけど、そういう人はレコンにそういう興味を持たないし、レコンもただその性格に感嘆するだけで、そういう興味を持たない。
それならレコンの嗜好はどんなのかというと、これは一定しない感じだし、レコンが女性にアプローチする所は、レコンが囮で活動する特別な場合でしか見た事がないから、分からない。
まあレコンならどんな子でも落とせるだろうけどね。
あの亜麻色の綺麗な髪を揺らし、精悍な顔の表情を崩して、琥珀の澄んだ目を細めて笑いかけて…………………。
………うん?
なんか変な気分だねえ。
モヤモヤして変な感じ。
なんていうか……感じ覚えはあるんだけど、ねえ?
てかね。
その想像で、どうして私に笑いかけるレコンを思い出す!?
そりゃあいつも口説き文句一歩手前の事を言われてるけども!
多分天然だしね! 関係ないしね!
「なに百面相してるんですか? ルクスさん」
ふはぁっ!?
うっかり自分の世界に深く入ってしまってた!
いつもはソフィアさんがやってるのを見ているだけだってのに、なんてことだい。
まさか思春期カムバック!?
いけない、いけない。私は十三番隊副隊長・ルクス=シェランなのだから、しっかりしないと。
軽く頬を叩いて気合いを入れ、首を振る。
「ああ、ごめんごめんソフィアさん。
 ちょっと考え事をしていてね」
不思議そうな顔で私を見ているソフィアさんに、愛想笑いを浮かべてそう返す。
「そうですか? 何か悩み事でも?」
「いや、そうでもないのだけどね」
どうやらこのまま誤魔化せそうだ、と内心ほっとしていると、クララさんがソフィアさんの後ろに回って手話で、
『……レコン=ブラック』
ぎゃーーー!
何!? 何で分かるんだい!?
『鈍いわね。まあいいけど』
そう伝えてクララが座り直す。
私の顔とクララの顔を交互に見て、ソフィアさんが口を開く。
「え? なんなんですか、ルクスさ……」
けれど、廊下から派手に響く足音に、その声は遮られた。

「ソフィアーーーっ!!」

ものすごい音と共に扉が開き、殿下が駆け込んでくる。
「うわぁぁん、大丈夫!?
 俺もう心臓止まるかと思ったよう、てか一瞬止まった!」
なんて叫びながら殿下はソフィアさんに向かってダイブしようとして、
「あうっ!」
後ろからついてきたレコンに服を引っ張られ、急停止して転びかけ、当のレコンに受け止められる。
「危ないですよ、殿下」
「お前が転ばせるからだろ!」
「ほほう。では貴方にはこのまま抱きついた衝撃でソフィア殿の足の捻挫が悪化しない自信があったとでも?
 ま・さ・か、気付いてないなんて事ないですよねえ、で・ん・か」
「……ふぎゃーー!」
イヤミたっぷりのレコンの舌鋒に、殿下は反論しきれない様子。
何かちょっと可哀相。
「有り難うございます、レコンさん。
 でも良いですよ、どうせ避けてましたから」
「いやあああ、ソフィアひど……くないか」
ずーん、と今度は自己嫌悪に落ち込む殿下。
「ふぇぇぇぇ、でも無事でよかったよおぉうぅ〜」
おお、今度は安心して泣きそうな顔。
仕事の時はそうでもないけど、プライベート、特にソフィアさんに関する事となると、途端に百面相するねえ、この子は。
思わず吹き出していると、
「……ルクス」
レコンがこっちを見ていた。
「ぁ、ああレコン」
いやだねえ。さっきまでレコンの事考えてたせいか、何かドキマギするねえ。
「災難だったな。怪我は?」
「ん、ちょっと切り傷。
 ソフィアさん庇いきれなかったよ。捻挫だって」
「……まあ、それもしょうがないだろう。軽傷のようだし」
大丈夫ですから、と目で訴えているソフィアさんの方にちらりと目をやっての低い声。
「あ、そうだ。あと、ヨルムンガルドに会ったよ」
これは言っておくべきだ。
あの後、ヨルムンガルドは姿を消したけれど、またロクでもない事が怒るに違いない。
「……えぇえ……?」
うわ、露骨にイヤそうな顔。
「ヨルムンガルド? 誰、それ」
殿下が首を傾げ、レコンに聞く。
「私の……友人ですかね、多分」
多分って……。
「ああなる程、レコンのシモベらしき人ね」
殿下の読解能力も優れてきたねえ……。
「シモベだなんて。結構使い勝手の良い友人と知り合いの境目にいる奴ですよ。
 そこらの有象無象以上、サリフ達未満です」
レコン、色々と酷ッ。
「こちらから呼び出したり、たまに友人として出かけるのは良いんですけどね。
 旅先で偶然怪しい動きをしている所に遭遇したり、あちらから会いに行動してくる時はシャレにならない奴なんです」
「どんな感じに?」
「ヴァム山ってあるでしょう」
「西の火山だろ? ここ五十年噴火していない」
「昨年呼び出されていったら、四十九年ぶりの大噴火を止める羽目になりました。
 上級の火の精霊をぶん殴って説得するのに一苦労でしてね」
そうそう。あれは大変だった。サリフとゼロも動員しての大冒険。
「………うわぁ、お前ならあり得そう……」
うんそうだね。というか、王子の護衛隊長な騎士がこんな小説の主人公体質で良いんだろうかね。
「……あの、ちょっと、ごめんなさい。ヨルムンガルドって、やっぱりジェルム先生の事?」
ソフィアさんがおずおずと話に割って入ってくる。
「それは私たちが聞きたい所だね。ヨルムンガルドがジェルム先生とやらとどういう関係があるのか」
「ジェルム先生は私の学校の、今年からの魔法学教師なんです。
 ちょっと変わってる事で有名で……。女生徒に人気があります。
 私は理論だけ習っているんですけど、割合よく話しますね」
「よく話すの、ソフィア」
「うん」
あ、殿下が嫉妬の眼差し。いつも思うけど、私やレコンにとっては一目瞭然の
「あー、多分アイツ、どこかでソフィア殿が殿下と親しいのを聞きつけたのでしょう。
 何故か内密になっているはずの俺の所属も知ってましたし」
まあまあ、と気の立っている子猫を宥めるように殿下の髪を撫でてレコン。
「とりあえず、この話は後々。
 クララの姐さん、お前の恋人が来たぞ」
「……クララ!」
ルパート=セイルが医務室に駆け込んできて、クララを何の躊躇いもなく抱きしめてキス。
大胆な愛情表現だねえ。
一方のクララは戸惑い気味で、顔を赤くして目を白黒させている。勝ち気姐さんが恋する乙女に早変わりだ。
ルパートは感触でクララの無事を確認したらしく、さっとクララの手が見える位置まで身を離す。
「良かった。クララに何かあったら、俺はどうしようかと……!」
おふう。歯が浮く予感がばしばしですよダンナ。
『大丈夫。二人のおかげで助かったの』
「あ、えっと……有り難う、シェランと殿下の恋人さん」
「恋びっ……!?」
ソフィアさんが絶句する。どうやらルパートは今の状況を見て誤解したらしい。
けれど何故か、その反論の言葉をソフィアさんが言おうとすると、レコンと殿下が揃って唇に人差し指。
しかもにまにましてるし。
「あのさ、それで悪いんだけど、クレア。聞きたい事があるんだ。
 クレアって、もう喋れるよね」
……うはぁ!?
これは殿下もレコンも目を丸くしてびっくり。どうやら予想していた内容と違ったらしい。
「何となく分かるよ。時々小さな声出してるし」
うおお。凄い観察力。
「それでも俺の傍にいるって事は、俺の事好きって事だよね」
……あっ。
なんかね、この予感。
歯が浮きそうな、口から砂吐きそうな、この声の響きの予感……!
やばい。
ここにいたらかなりやばい。
姉御さんな態度はどこにいったのか、クララの顔、頬から耳まで真っ赤だしね。しかも驚きで口が、パクパク金魚みたいに動いてる。
「俺ね。クレアの事、愛してるよ」
キタァァァァァ!!
「でも、クレアは俺の事嫌いなんじゃないかと思ってたんだ。話せるようになっても、なんにも言ってくれないから。
 クレアが俺を驚かせようとあえてそうしてるのか、それとも俺を嫌いなのかって」
真っ直ぐクレアさんの瞳をじっと見つめて語りかける。
おそらくクレアさんしか経験ないんだろうが、逆にそのせいでクレアさんのツボをつくのは容易いらしい。それ以外はエセナルシストだっていうのに、恐ろしい事だ。
「でも、俺の縁談を聞いて、まだ不十分にしか喋れないのにウィルードまで来てくれて。俺と話して、安心した顔して。
 普通、嫌いな人に、それはないよね。
 だから、クレアは俺の事、好きだよね」
「……き、嫌いなわけないじゃないか」
ルパートの真っ直ぐな視線に耐えきれなくなったらしく、クララが顔を背けて掠れた声で言う。
「……この馬鹿。縁談聞いた時、アタシの心臓止まりそうになったんだよ。
 しかも結婚未遂までしてさ。
 おかげで道中走りっぱなしで、息が切れて喉カラカラで。
 また喋れなくなったらどうしてくれるんだよぉ、この……」
と、そこまで言った所で。
「って馬鹿! 人が見てるじゃないか!」
『恋は盲目』な言葉が飛んだ。
「いいじゃない。何が悪いの?
 俺はかっこいいし、クララは可愛い。恥ずかしくなんてないよ」
「このナルシスト野郎ォーーー!」
ソフィアさんもかくやという程のクララの強烈な一撃が、ルパートの脳天に直撃した。

その後、気絶しているルパートを引きずり、「次はこんな事がないようにしつけるよ。またな」と剛毅な挨拶と共にクララは漢らしく帰っていった。どうやら割れ鍋ルパートは尻に敷きつつ敷かれつつ、良い綴じ蓋を獲得したようだ。
そしてしばらくの沈黙の後、殿下が口を開いた。
「……説得して良かったのかなあ」
「良かったのでしょうよ。あれでもクララはしっかりルパートを愛していますしね。
 学生時代のトラブルの時だって、口に出しては言えないスラングを書きつづったプラカードと共に抗議されましたし」
「何に巻き込んだんだ!?」
「失礼ですね、巻き込まれたんです。実験の道具の入手が難しいとぼやいていたので、購入ルートを探していたら市庁舎爆破テロ計画を聞いてしまって」
「それを巻き込んだと言わないか」
レコンのひと味(というか一段階)違う学生時代の思い出をとっかかりに、レコンと殿下がこのごろすっかりお馴染みとなった掛け合いを始める。
とっかかりにして遊んだと言って下さい、それを巻き込んだって言うんだよ、なんて会話を適当に聞き流しながら、ふとソフィアさんの方を見ると、恋する少女の目でエリックを見ながら二人のじゃれ合いに笑ったり驚いたりしている。
全く、じれったいよね。あの二人に影響も受けてないし。
両想いなんだからいい加減、キスの一つぐらいすりゃあ良いってのに。
そう思って殿下とソフィアさんを交互に見ていると。
同じように焦れているレコンの目に出会った。口を動かして殿下とじゃれ合いながら、器用な事だ。
そしてレコンはさりげなく移動してゆく。丁度、ソフィアさんから見て、殿下の後ろになるように。
それに合わせて殿下も後ろを向く。ソフィアさんは少し寂しそうだが、それでも聞こえてくる会話が面白いので、また可愛らしくくるくると表情を変える。
……それはもう、無防備に。
……………………。
…………………………………。
「そういうわけだね? レコン」
「そういうわけだ、ルクス」
「え? ちょっと、まだ俺が話してる途中……」
殿下が言い終わる前に、がっちりと殿下の後頭部をレコンが掴む。
同時に私もソフィアさんの後頭部を掴み、殿下の方を向くように固定する。
レコンが強制的に殿下の頭を回し、ソフィアさんの方を向かせる。
それでは、二人の進展を願って。
ぐいっと私がソフィアさんの顔を突き出させるのに合わせて、レコンもうまい具合に殿下の頭の位置をコントロール。
両想いだけど、付き合っちゃいない若者よ。
私たちが焦らされてる分、これできっちり悩むがいい。
殿下とソフィアさんの唇が、きっちりと重なった。

区切り

すれ違い、思い違い。
厄介な事だけど、それは仕方のない事だ。
だって二人は違う人。
そういう意味で独りぼっち。
意思を通わせるための努力はいる。

けれど、時々また違う人が、迷惑かどうかなど関係なしに、不意に手を出してきてしまったりするのだ。
だから気をつけなくてはならない。

……大概、手遅れだったりするけれど。




注:「クレア」は「クララ」の愛称です。ルパートだけが使います。

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第7話おわり
第八話: (未定)に続く

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