愛のカタチは人それぞれ。
答え方も人それぞれ。
「あぁあ、美しぃい……っ!
このすべらかな肌、エメラルドの瞳、琥珀の深い輝きの髪、この整った顔!」
「人の執務室で自分の顔に見とれるな」
「いやあ、だってもう家には居場所が精神的にも物理的にも無くって。家宅捜索入っちゃったし」
それはそうだろう。
けれどどうしてよりによって皇太子たる俺の執務室に来るんだ、このルパート=セイルという男は!
「細かい事は気にしてはいけません、殿下。
これは昔からそうです。ただの気まぐれですよ」
レコンがなんでもない事のように言って書類をめくる。
どうしてそんなに落ち着いてるんだろうか。
「だからって俺の執務室に来るか?」
「私の仕事場所に来たかったんでしょう。久しぶりですしね」
「Excellent! 正解だ!」
「黙れ昼行灯エセナルシストめが。
どうせ彼女がまだ到着していなだけなんだろうが」
俺の思考、一瞬停止。
エセナルシストは分かってた。うすうすな。
でも。
「彼女いるのか!?」
「いるんですよ。メイドらしいですけど、しっかりいるんです」
「嘘!」
自分だけが好き、というわけではなさそうなのは分かっているが、それでも自分に酔ってる奴に、彼女が。
なんとうらやましいことか。俺もソフィアと付き合いたいのに!
「この美しい俺になんて言いぐさかな。というか最後の方、殿下、キミ俺と関係ない事考えてたろ。
それに、レコン。
………彼女じゃないよ」
にこ、とルパートが笑う。
その笑顔はなぜか、底の知れないものを感じさせる。
辛い事を絶えている時の人間特有の笑顔。
「……わけあり?」
そう聞いてみる。
「うん、わけあり」
「ふうん」
ルパートが少し驚いて、
「聞かないの」
と聞いてくる。
「聞かないよ。あんたが隠し通せないって事は、よほど何かあるんだろ。
聞かない分別ぐらいある。本当は是非とも聞きたいけど」
辛い事は、思い出させない方がいい。こちらだって嫌だし、相手も嫌だ。
話したい時に、話せば、いい。
なぜかルパートは俺の言葉を聞いて笑い出す。
なんだよ。俺は真剣に言ったってのに。
「いい人だね、殿下は。
レコンは幸運だ」
どうしてそこでレコンに話が飛ぶのだろうか。
レコンが少し胸を張り、そうだろう、と頷く。
よく分からないが、まあ嫌な気にはならないのでよしとするか。
「ソフィアちゃん、ちょっとこっちこっち」
「はい、どうしたんですか?」
馴染みの巡査のおじさんに呼び止められ、私は足を止めた。
エリックの城に行くところだったけれど、まあいい。
「このお嬢ちゃんなんだけど、どうも言葉を喋れないらしい。
この界隈で手話が出来るのはガランディッシュさん家の人しかないからな、お願いするよ」
そう言っておじさんが少し体をずらし、後ろで心細げな顔をしている女性を示す。
茶色の髪に、少し焼けた白の肌。黒い大きな瞳は少し潤んだ様子で揺れ動く。
鞄は旅用。少し質のいいスカートと、動きやすそうなシャツの上に紺の上着。
一見して、可愛くか弱い一人旅の女の人の一人旅、といったところだ。
「筆談でもいいんだが、話は早く進む方がいいだろ」
おじさんがそう言うと同時に、女の人が頭を下げる。
そして、真剣な顔で手を動かす。
『声は聞こえるのですが、話す事が出来ません。
道を教えて頂きたいのですが、よろしいでしょうか』
じゃあ私は手話を読むだけでいいのか。
「はい。何処に行くんですか?」
『貴族街です。セイル家のお屋敷に』
「セイル家?
というと、あのナルシストさんの?」
『ルパート様を知っていらっしゃるのですか!?』
さっきの不安そうな顔はどこへやら、ぱぁ、っと女の人の顔が明るくなる。
頬に赤みも差しているし。
「ぁ、ああ……うん」
『あの、それではあの方の縁談の事、どうなったのかお知りではないでしょうか』
「えっと……ぶっこわれましたよ」
ぶっ壊しましたよ、とはさすがに言えない。
『そうですか……』
ほっ、と顔を緩めて彼女がため息をつく。
この人って、一体?
『そうそう、改めて。私の名前はクララです。ルパート様にお仕えしているメイドです。よろしくお願いします』
訝しんでいる私の視線に気付いたのか、綺麗な笑顔での自己紹介。
「クララさんですか。
私はソフィア。ソフィアルティア=ガランディッシュです」
そう自己紹介しながら、とりあえず当面の優先事項を思い出す。
確か貴族街は、城のあたり。私たちが住んでいる町とは近いようで遠い。
エリック達に道筋を聞いてからいった方がいいな。城は顔パス出来るぐらいだし、この人一人ぐらいは入れてくれるだろう。
王子の幼馴染みという生活の中で染みついた癖の通り、クララさんの全身を下から上まで一瞥する。
よし。家事出来るぐらいの筋肉しかついていないし、剣を隠し持っている様子もない。
護身用の短剣が腰に一つ。これは支障ないだろう。
大丈夫だ。
これはいくら相手が人が良さそうでも、必要な判断。
なにせ、エリックは殿下なのだし、エリックが対象でないとしても貴族は憎まれる事が多い。
門でも一応ボディチェックがあるけれど、念には念を、だ。
私は軽く自分に頷くと、クララさんに、さあ行きましょうと声をかけた。
「クレア、よく来られたね、ここまで……。
道中危ない事はなかった? そう、良かった。
……うん……俺も会いたかったよ」
優しく穏やかな声。しかも甘い響き有り。
その顔も至って穏やかそうな、人好きのするもので。
クララ(愛称はクレア)というその女性に触れる手は気遣わしげで、しかも壊れ物にさわるように慎重だ。
……あのナルシストはいずこ。
ソフィアが連れてきたクララという女性。その女性を見るなりルパートは彼女を抱きしめ、そのまま膝の上にのせて、椅子に座って二人だけの世界へ行ってしまっている。俺たちはそれぞれの机について、書類をぺらぺらめくりつつ、様子を窺うしかない。
しかもむかつく事に、それが様になっているのである。
同じぐらい俺の顔もいいのは分かってるけど、やっぱナルシストだけあって肌の手入れも完璧。本当に、エメラルドの瞳で、琥珀の深い輝きの髪のいい男なのだ。
てか、さ。
何が、『………彼女じゃないよ』だ! 紛らわしく重苦しい顔までしやがって!
彼女じゃないか、どう見たって!! 相手もすっごく嬉しそうな顔してるじゃねえか!
両想いの相手がいるなんて、ああうらやましいこの野郎!
「ああ、縁談は無理だよ。俺はいつもの調子でナルシストだし、相手にもこちらにも問題があったんだ。
だから、心配してくれなくてもいいよ」
そもそもナルシストと呼ばれる人種なんぞに関わった事はなかったが、他人を気遣う時点で本当にナルシストと呼べるかどうか。
そんな俺の思考が届くはずもなく、甘い空気の中で女性が心配そうな顔で手を動かす。えーっと、
『ですが、旦那様と奥様の事は如何なさるのですか?
大変な事になっていると、噂で拝聴しましたが』
「………いいよ。大丈夫。父さんも母さんも、少しは懲りれば良いんだ」
ルパートが少し憂鬱そうな笑顔を作る。その中に、してやったり、という表情も若干のぞかせて。
あの事件は『少し懲りる』程度のものじゃなかったような気がするんだが……。
レコン関連の奴らというのはどうしてこうなのだろうか。少し変わっていて、頭が良く回る。レコンはそういう奴らを引き寄せる質なのだろうか。
……やっぱ、いわゆるカリスマだもんなあ。俺には少し扱いづらくて少し目立つだけの、いい部下なのに。
……もしかして俺の方もカリスマ、とか。
はは、無い無い無い。そりゃあ自慢じゃないが頭は良いし、顔もいいし、運動神経抜群だが、そんな事はない。
そりゃあ、あの若かったセブンティーンな俺はレコンに『お前は絶対俺に跪く』とか言ったけど、そもそもそれをよく言ったよな。しかも実際よく跪かせられたよなあ。
……ただ単に俺、人あたりが良いだけか? つまり。
主とかいっといて、もしかしてそうなのか?
「はあ、自信喪失……」
「大丈夫ですよ殿下。ソフィア殿に思いは通じますって。鈍くなければ」
レコンが何を勘違いしたか、的はずれに慰めてくれる。考え事を脱線させてたのを読み取るのなんてできないだろうし、無理ないんだが、最後の一言は相変わらず意味不明だ。鈍いってなんだよ鈍いって。これでも洞察力には自信があるんだからな。俺は結構鋭いんだからな。
『では、私はこちらの屋敷の雑用でもして参ります。よろしいでしょうか』
「うん、いいよ。助かる。この事件で一気に退職した人が多いから」
どうも俺が思考の海に沈んでいる間に、二人の会話は帰結したらしい。
そうしてクララさんは俺たちに挨拶し、部屋をしずしずと出て行った。
「……で。どこが彼女じゃないと?」
クララさんが部屋から十分離れるように間をとった後、俺はルパートに尋ねる。
「彼女じゃないんだよ」
ルパートが虚しそうに笑う。
だからさあ、アレどう見てもそうだろうが、こら。
「彼女じゃないんですよ。
なんかこの男、ナルシストとか言うわりに、自分に自信がないのです。
『自分は雇い主だから、彼女は嫌々ながらも付き合ってくれているのだ』と、全くもってくそ食らえな思いこみの所為で、好きだと言わない恋人でない、という超卑屈野郎なんですよ。
実際おそらく恋のABCは全部済んでますけど、恋人になってくれ、とは言えない純粋ボーイなんですこの男」
「……はあ? 恋のABCなんて死語な言い回しも『はあ?』だけど、その心理も『はあ?』だな」
「作者も辛いツッコミを有り難うございます。
でもそういう人間だっているんですよ。他人が見れば不毛なだけですけどねえ」
「……言いたい放題言ってくれるけどさ、俺はこれでも深刻なんだよ?」
「なら帰れ。自分で考えろ。俺たちはどうせそれでもまだお前を話のネタにする」
「……殿下、君って割と冷たいね……」
「うん。だってほら、お前の悩みは俺の悩みじゃないし。
大体さあ、俺はまだ十八なんだ。まだ知らない事が沢山あるんだ。分からない事だって沢山あるんだ」
多少の恨みも込めてそう応える。
よく考えたらそうなんだよな。キャリアが違うんだ、キャリアが。
「でも、君頼りになるし」
「確かに頼りになってしまうのですよ。十八のガキのクセに」
しれっと言うなよ、大人共。しかも約一名、相も変わらず一言多い。
こいつらって、実は大人の皮を被った子供ではなかろうか。そして俺は大人と子供の狭間にいる中途半端な、でもちょっとはしっかりした存在。
で、無闇に頼られる。
……イヤだ。もの凄くイヤだ。思わず頭を抱えてしまった。
まあでも、もう関わってしまったし、頼りにされているんだし。
心を決めて顔を上げる。
「ぐはっ」
頭に衝撃。顎にクリーンヒットしたらしく、ルパートが悶絶する。悩んでいる俺を上から覗き込もうとしていたらしい。。
「ああ、ごめん。
とりあえず、それは後で一応医務室に行くとして、聞きたい事がある。それが先」
「……君、さりげなく酷いね……」
涙目で顎を押さえつつのルパートの一言はさらっと無視しておく。
「お前と彼女の関係をもう少し詳しく言え。親密になった理由、好きになった理由も、俺とソフィアのようにかなり幼い頃から一緒にいたのでなければ答えられるだろ。
さ、言え」
「君って消極的なのか積極的なのか分からない……」
「自分からこの部屋に来たんだろうが。言え」
はい、とルパートはどこか遠くを見るような瞳をしながら頷いた。
出会ったのは孤児院。貴族の体面を保つ為の訪問の時。
クララはクララという名前でなかった。そして、まだ言葉を話す事が出来た。
クララは四歳。ルパート=セイルは七歳。
ルパートは幼いながらも、それはそれは美しかった。
だからクララは言った。『美しい』と。
そのころ既にナルシストの気があったルパートはクララをいたく気に入り、その日一日中をクララと遊ぶ事に費やし、果ては家に連れて帰ってしまった。
そしてそのまま、ルパートは彼女の名前をクララとし、メイドにして、ずっと傍に置いた。
メイドといっても、なにせ次期党首候補のお気に入りな上、クララは優秀だったから、待遇も環境も良かった。
やがてルパートはレコン=ブラックと同じ学校に入る。それに伴い宿舎に入った為、長期休暇しか会えなくなった。
そのあたりから恋愛感情らしき者が二人の間に漂い始めたのである。
ソファーに座ったルパートがため息をつく。
「まっ、マ○・フェア・レディ……」
昔大人気だったという古典小説の名を呟く。若干の違いはあるが、確か内容はそんな感じだった。
「その、それから、キスもして、抱きしめて、閨も一緒にするようになったんだけど」
「最後の一言は余計だ。ウブな殿下の耳にそんな言葉を聞かせるな」
「ウブは余計だよ、レコン。まあ、ちょっと聞いてて恥ずかしいけど……うん」
少し頭に血が上って、顔があつい。
うう、俺って割と純粋培養。
「……話を続けるよ。このままだと男三人、よくあるYのつく話になりそうだから。
とにかく、俺は本気で自分と同じくらいクララが好きなんだ。
でも、俺のせいでクララは口がきけなくなってしまったから」
「……え?」
おいおい。
もしや、これはダフィラシアス以来の重い話だったりするのか?
「……屋敷の掃除、これで終わりっと」
私はふう、とため息をつき、箒を用具室に放り込んだ。
あの後、なんだかあの人が気になって、王城の入り口あたりで門番さん達と話をしながら待っていたら、あの人が出てきた。
そして、これから屋敷の掃除をする、という話を聞いて、手伝う事にした。
おそらくセイル家はあの事件の影響で人がかなり少ないだろう、という事を見越して。
『有り難うございます、ソフィアさん』
クララさんが手を動かす。
「いえいえ、いいですよ」
私はそう答えて手を振る。
しかし、本当に人が少ない。私が掃除した部屋全てで出会った人の数を考えてみても、五人に満たないし。
……こんなものなんだろうな、セイル家ぐらいの貴族の家って。
人の繋がりの虚しさ。そして、未だ残っている人と家の絆。
打算と感情。
そういうものがないまぜになって、この家の状況を作り出している。
『では、少々間食でもどうですか?
使用人のみんなで集まって、色々食べよう、という事になったんです』
「ああ、じゃあ…ご厚意にあずかって」
疲れのせいで、お腹が小さな音を立てた。
「……まっ、マイ・フェ○・レディ……」
幼い頃、昔大人気だった、とエリックが言って読んでくれた本の題名を呟く。
結構違うと思うけど、間食がてらの使用人さん達の話はそんな感じだった。
孤児院から拾われ、名前をもらい、そのまんま幼馴染みでメイドにしてもらい、傍にいて。
なんともはや、ロマンス小説のようじゃないか。
『そんな大仰なものじゃないです。私はルパート様のことは好き、ですけど』
そこでクララさんが手を動かすのを止めて、顔を真っ赤にしてモジモジ。
可愛い人だ……。
「照れるなって。もうルパート様も独立したし、クララ、アンタだって好きにして良いんだから」
私の隣に座っている、黒髪そばかすの、ボーイッシュで活発そうなメイドさんが機嫌良さそうに言う。
どうもこの人はクララさんと親しいらしい。名は、話によると、多分メリアさん。
私と一緒のテーブルに座って、菓子をつまんでいる人はみんなそんな感じ。
そしてもう一方のテーブルの人達は、どうもこちらの人達とは別グループなのか、自分たちの話に花を咲かせている。
「それにこの子も新しく入ってくれるんだろ?」
メリアさんの指がクララさんの隣、つまり私を指す。
「あの、違います。私はクララさんの手伝いをしに来ただけです」
「へえ? そうなのか。まあいいけど、クララは一度王宮まで行ったんだろ?
どうしてそこからアンタ……ソフィアちゃんが付いてくるんだ?」
「あ、私はエリックと幼馴染みで、よく行くんです」
「エリック?
……まさか、皇太子殿下の事!?」
メアリさんが大きな声を張り上げる。わざわざ立ち上がって叫ぶまでの事なんだろうか?
「じゃあアンタがあの『謎の顔パス少女』!?」
……はい? 今なんと。
「『謎の顔パス少女』ぉ?」
「うん、そう。いつから言われてるのか分からないんだけど、そういう噂。
『王城の中に、関係者専用の通用門から顔パスで入っていく少女がいる』って。
あそこって警戒が凄く厳しいじゃない。通用門ならさらに。なのに何も警戒ナシ、で通る女の子がいる、って。
王の愛人とか、殿下の愛人とか、秘密諜報部員とか、大貴族のお嬢とか、色んな説があるんだけど、それがアンタとはね」
うっ、とお菓子を喉に詰まらせそうになった。確かに、それは私だ。
門番さんとも小さい頃から顔見知り。エリックの幼馴染みだから、城の人は警戒しない。その上、一度自分もボディチェックを受けるべきじゃないか、と言ったらエリックが『俺はそんなに頼りなく見えるの』とか『それは俺の愛の証なんだからいいんだ』とか訳の分からない事を言って泣いて拒んだので、ボディチェックも受けていない。
……うん。噂になる。確かに噂になるよそんな待遇。
「多分私の事だと思いますけど……別に愛人なんかじゃないです。普通の幼馴染みですよ」
とか言いながら、少し悲しい気分になる。特権だとかそんなモノ持っていたって、私は結局エリックの幼馴染みなのだ。想いを告げようなんて思わないけれど、でもやっぱりそれ以上になりたい。
「ふうん。色々あるんだねえ。ソフィアちゃんの方は殿下が好きなんだろ?」
「はい、でも私はエリックとは違いますし……。
て、何を言うんですか!」
しかもどうして気付いたんですか!
「だってあんた、どう見たって恋する乙女の目してたし。
殿下もやるねえ。すかした顔で演説してるだけの、ぼんくらだと思っていたけれど」
「エリックはそんな事ないです。ちゃんと仕事もしています」
治安は王族の信用に関わってくる。そして最近の治安は悪い。だから王族の株は下がる。
王族は確かに政治を司る。けれど他にも議会やらの機関があって、エリックの思うようにうまくいかない。だから、エリックをそれだけでぼんくらなんて思わないで欲しい。
「ふうん。でも最近、少し治安も悪いしね。殿下だけの所為とは言いにくいけれど」
メリアさんが首をこきりとならした。
「……誤解の無いように言っておくけどね、君。殿下は天才さ。凡才がその足を引きずっているだけだよ」
なんの前置きもなく、涼やかな声が響く。そして視界に舞う銀色の髪。
「ルクスさん!?」
「「「うわぁ!?」」」
いきなり私の隣に現れたルクスさんにテーブルの皆が驚いてのけぞる。
その中の一人が椅子ごと倒れそうになり、ルクスさんはそれを軽々と片手で止めて戻した。
「いやあ、ソフィアさんの護衛をしていたらどうも気になる話が聞こえてきてしまったからねえ」
「……シェラン家の長男坊!?」
「おや、よく覚えていたね。セイル家のパーティーに参加したのは二度だけなのに。
あ、そうか。確かシェルードの酒を勧めてくれたっけ」
「は、はい……!」
ルクスさんのキラキラスマイルにメリアさんはうっとり。
私は別にそんなうっとりなんてしないけどなあ。ルクスさん、いい香りもするし。
「あー、でもやっぱり女の子がいると和むねえ」
「私たちもいますよ」
椅子ごと倒れそうになった男の使用人さんが答える。
「うん、まあそれはそうなのだけどね。
もうそろそろカミングアウトしようかと思っていた所だから」
「カミングアウト?」
私の繰り返しての問いかけに、
「そう。カミングアウト」
ルクスさんは笑う。
「なにを、ってのは無しだよ。君はうすうす気付いているはずだから」
「へ?」
「さーてさて! 話をざっくり続けたまえ」
続けられませんって。しかもあからさまに話逸らしたでしょうアナタ。
みんなの心境もそうらしく、一瞬静寂が広がる。どうやら向こうのテーブルの人も話どころじゃなくなったらしい。
「うむ、これはまたみんな、素晴らしい黙りっぷりだね。
では私から話題を提供しよう」
ん? 今一瞬違和感が。
なんだろう。述語? それとも……主語?
「突然だけど、もう親御さんが心配する時間だ。
さあ帰るよ、ソフィアさん。あと……」
ルクスさんの綺麗な手が、ひょいっと皿の上の菓子をつまみあげる。
「これ、美味しそうだね。作り方を教えてくれるかい?」
なんだか色々と脈絡のない人だ。結局、エリックの足を引っ張ってる『凡人』については何も言わなかったし。多分貴族か何かなんだろうけど。
けれども、窓の外が暗くなってきているのも確かだ。
作り方の説明を受けているルクスさんの相槌を聞きながら、私は脇に置いた、お気に入りの鞄を持ち上げた。
空はもう赤くなく、紫にあっという間に染まってゆく。
その下を、私はルクスさんと一緒に歩いていた。何故かクララさんも右にいる。
……うん。何というか、困るな。
私や、ルクスさんに強引に連れ出されたクララさんはそうでもないと思うけど。
ルクスさんが、強烈に目立つのだ。
それはそれはガチンコ綺麗だから。
で、周りの注目浴びまくり。
しかも何故か女装バージョン。Tシャツにデニムの青いジーパンを着ているってだけじゃあ男に見えるかもしれないけれど、胸がふくらんでいるからそう言える。
ああ、三人に一人は振り返ってゆく人達の視線が、私を見てなくてもイタイ。
「ふぅむ……。レコンがいなければ目立つ事はないと思っていたのだけれどね。これは想定外だ」
ルクスさんがため息をつく。変に物憂げに見えて、なんか色んな意味で心配になる。襲われたりしないだろうか。
レコンさんがいたらもっと目立ってるんだろうと思う。そういえばエリックと一緒に人混みで二人を捜した時も、ルクスさん単独でも目立っていたなあ。
「やっぱり男の顔というのもあるのだろうねえ。
あーあ、どうせなら男に生まれたかったよ。そうしたらこんな厄介な事にはならなかったのに。
ん、でもそうだったら今の生活よりは楽しくないかもしれないね。うん、前言撤回だ」………。
何か今言いましたね。
ええ、言いました言いました。
今までの私の疑問を解決し、かつ衝撃的な一言を、この人はさらりと言いましたね。
『だから、それがなんで女装なんですかー!?』
『似合ってるからまあ別に良い、で済んじゃってね』
『何だって? それが女性をエスコートするときのセリフかい?』
『誰がエスコートしとるか!』
『まあそれは当たってるね。私はレズじゃないから』
今までの、なんだか色々引っかかっていた言葉がよみがえる。
あれは、あれは、あれはっ……!!??
「ふむふむ。まあ、反応はこんなものかな」
ルクスさんが頷く。何かもの凄く嬉しそう。
もしかして私は実験台ですかー!?
「どうして隠してたんですかあぁぁ!?」
「そりゃあ、男装の方が何かと面白いからさ」
「はあ!?」
「君みたいに完全に女の顔なら良いのだろうけどね。
私はこんな顔だから」
綺麗な顔でルクスさんが笑う。
でも、その顔は歪んでいて、藍色の瞳は今にも泣き出しそうで。
私は何も、言う事が出来ない。
このひとになにがあったのか、分からないけれど。
私にとってはたわいもない理由かもしれないけれど。
でも、全く辛くないわけはなかったんじゃないだろうか。
だって、この人はずっとずっと、女なのに男と気付かれる事がなかったのだから。
「ああ、そんなにしんみりしなくても良いよ。
どーせレコンには初めっからバレバレだったし。クララさんにもね」
う?
あれ、そういえばクララさん、何でもない顔のまんまだ……。
レコンさんには確かにばれてるんだろう。あの時の二人の様子を考えると、多分性別を隠すのに協力もしているはずだ。
「これが初対面じゃないしね。
まあしっかしクララ嬢、猫もいい加減疲れてるんじゃないのかい?」
猫? 何の話だろう。
『いいえ。まだ大丈夫ですよ』
ほへ?
猫を飼っているのかな、クララさん。
でも、出会った時は猫入りのカゴなんて持っていなかったような……。
「ふうん。……と、この通りを右だね。もう遅いし、人気のない道は止めておこう」
「ああ、はい」
左は近いけれど物騒な感じの暗がりがある。確かに右が良い。
「で、クララ嬢。もう一つ聞いても良いかい?」
『はい。何でしょうか』
「君、喋れるよね。
さっき私がいきなり姿を見せた時、他の人には聞こえないぐらい小さく、でもはっきり叫んだろう?」
殿下の話が出たから、というのは嘘だよ。それを確かめようと思ったのさ。
いつになく真剣なルクスさんの声。
私の左を歩いているルクスさんから、右のクララさんに向けられる視線は鋭い。
闇に輝き、夜風に舞う銀の髪。紅色の唇。藍色の輝く瞳。真珠のような白い肌。ルクスさんの美貌が、夜の闇に映えている。
壮絶に美しい。
そんな事考えている場合じゃないのかもしれないけれど、なんて美しいのだろう、と、ルクスさんの言葉に驚きながらも、見とれそうになる自分がどこかにいる。
エリックがいれば、レコンさんもいれば、もっと綺麗なのかなあ、なんて変な事も考える。
街は夜に呑まれたばかりで、家々にともってゆく灯は穏やかなのに。
ルクスさんの藍色の瞳は、美しくも鋭い輝きを放ち、クララさんを見据えていた。
愛の形は人それぞれ。
答え方も人それぞれ。
過剰なものでないのなら、それを誤魔化して、騙す事は無い方が良い。
天が知る、地が知る、人が知る。
なにより自分が知っている。
第1.5部 第六話 おわり
第七話:下町娘と青年(仮) に続く
よかったら感想をどうぞ。無記名でも大丈夫です。