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日常非日常

〜Days Before The Storm〜

日常は人それぞれ。
ある人にとって完全な日常でも、それが非日常といわれるものである人もいる。

区切り

唇に残るのは柔らかい感触。
けれど口づけは少しの間の事で、お互い我に返って同時にのけぞった。

時間は経つのははやいもので、『あれ』から既に三日が過ぎた。
顎を執務机に乗せて感じるのは、馴染みのある丁度良い木の冷たさと、紙の感触。
「……レコンの馬鹿。あほ。なすび。りんご。ごりら。らっぱー」
「途中からしりとりになってますが?
 それよりもとっとと仕事を片づけやがって下さい」
執務机と卓袱台ごしでの正面という、これまた馴染みのある位置に正座をしたレコンは俺の文句にそう言うと、処理していた紙の束を一纏めにし、右脇に置いた。
「そうそう、夏祭りの件でできたうちの隊の欠員ですが、三人分埋める事が出来そうです。
 実質人数は二人減りますが、本来うちの隊に入るなどほぼあり得ない人……人? 材ですので、ご安心を」
「……『人? 材』って。混血族なのか? でも、あの三人も一応混血だったろ?」
「混血じゃないから困ったモノなのですよ」
「じゃあ何、魔物? ドラゴンとか?」
「いいえ。ドラゴン方面は学生時代にやらかしたあれやそれやで複雑でして」
なんか嫌われたり好かれたり、ややこしいんですよね、と世間話をするようにレコン。
「あれやそれやって」
こいつほんとに何で公務員(一応)やってるんだろう。騎士団の中にもこんな奴なかなかいないし、どっちかというとトレジャーハンターとか冒険者とか賞金稼ぎとか、もっと割の良い、かつ性格に合いそうな事をやってても良いはずだ。
それだけ俺が良い主だから、という事らしい。……俺は自分じゃよく分かんないけど。
ま、でも理由の半分はルクスの事だろなあ。自覚してるか曖昧だけど。
「魔物でないし、でも純血でね。まあ来たら分かります。冷静沈着、きわめて良い性格の御方ですよ。後はお楽しみですね」
「ええ? もうちょっと聞かせろよ」
「いやです」
むー、と不満の声を上げて頬をふくらしてみせると、レコンはくすくす笑う。
「それより仕事ですよ、仕事。愛しのソフィア殿に会いに行くのでしょう?」
「……お前ね。
 仮にも俺は18の悩める青少年だぞ!?
 それが……き、キスした後に平気で会いに行けるかよ!」
「会いに行けばどうですか。大丈夫、どっちにしろ私が強制的に連れて行きますし」
「おいこらー!」
「そうでなければ、いつまで経っても結婚できませんよこのヘタレ」
「けっ、けっ、結婚って、そんなっ……!!」
「うわ顔真っ赤、純情ですねえ」
「だってお前、そんな、夢みたいな事……」
いや、確かにソフィアと結婚するのは俺の夢ですよ。十年ものの願望ですよ。
でも、ソフィアは俺を好きなのかって言われると自信ない。もの凄くない。
洞察力に自信はあるのに、ソフィアのことは分かるけれど分からない。
愛されてるのは分かるけど、恋愛で愛されてるのか、いつもいつも分からない。
「……夢、ね。
 全く、鈍い事この上ないですね」
レコンが、心底呆れた、という顔でため息をつく。
「鈍いってなんだよ。お前らが俺とソフィアくっつけようとしてるのは分かるけど、ソフィアが俺を好きかなんて分かんないじゃないか」
「……ま、それもそうですか。
 では、まずは殿下の仕事の後に強制連行と行きましょう!」
「お前、人の話聞いてたか……?」
「殿下は私が仕える主です。立派な方です。
 だから、会いに行ってもソフィア殿は嫌がりません」
ね、と微笑まれる。
「……うん」
レコンの低い声は心地よくて、なんだか落ち着く。
そうだよな。
だって俺、どうせソフィアに会ってしまうもの。
そうでなければ、まともじゃいられないもの。
「……ん? というか、キスさせたのはお前らが原因じゃないのか?」
「ちっ、気付いたか」
舌打ちするなやこの野郎。

区切り

指が唇に触れる。
もう殿下の感触が残っているわけでもないだろうけれど、心理的には残っているらしく、頬がぽっと赤くなる。
……ソフィアさんが乙女している。
しかも彼女が座っているのが、前も泊まった王城の部屋の豪華ベッドだったりするから、乙女度更に七割増しだ。屋根裏から覗いてる私も気恥ずかしい。
「……なんか、よく分かんないですねえ。
 キスを思い出すのは分かりますけど、なら調子に乗るもんだと思いますが」
「……調子にって、ねえ。そりゃガッツリいっちゃった方が状況を打開するに良い方法だと思うけど……」
「ですけどねえ、うまくいきませんねえ。
 どうして学校の成績は良くても、自分に対する殿下の態度から殿下の気持ちを類推できないんでしょうか、人ってのは」
「どうしても、だよ。君はそれでうまく行くことないだろ?」
「………うーん。そうですね」
「なんだいその妙な間は」
「そういう付き合い以前に、ボクは『口下手で仏頂面で変わり者』って言われるぐらいでしたから。
 あんまり、そんな必要はなかった気がしますね。知人の性格もなんか濃いらしいですし。類友とかゆーんですかね? そいで、相手の方から察してくれるのが何故か多くって。
 んーでもそうですよね。うまくいかないですよね」
……何か今、信じられない言葉の数々を聞いた気がする。
「今の、誰の話だい……?」
「ボクの話ですー」
いやだからそれが信じられないんだって。それこそ察してくれたまえよ。
「……あ」
ルイルがさっと廊下の上の天井の方に――正確にはその下の廊下を見透かすように――顔を向ける。
「誰か来たね」
この気配。訓練を受けた者のそれだけれど、攻撃的では全くない。特に警戒する必要はない。
……ん?
「というか、この感じ、多分……」
「ええ。
 ……ソフィアさんの、ご両親ですね」


「最近、こういう事が立て続けに起こるわねえ……。はいソフィア、着替えよ」
「うん、母さん、有り難う」
「――ブカレスア」
「分かってるわ」
ガランディッシュさんに言外に注意されて、ソフィアさんのお母様が何か諦めたように苦笑する。
「どうしたの? 母さん」
「いや、ちょっとね。この前エリック坊やと喧嘩しちゃったの。熱でおかしくなってたみたいで、何でそうなったのかは覚えてないんだけど」
本当は覚えているクセに、まだしこりは残っているだろうに、そう言って誤魔化す。
レコンに頬叩かれて説教されたし、なんだかんだいって、殿下を幼い頃から知っている。殿下をはっきりと憎めないんだろう。
「え、母さんとエリックが喧嘩!?」
「別に気にしなくて良いのよ。こっちが一方的に悪かったそうだから」
そう言って微笑む母親を見、ソフィアさんは首を傾げる。
けれどなにも感づいたようでもない。
当然だ。ソフィアさんにとって、殿下がいる事は当たり前で、それ故に、母親がその事に良い感情を抱いていない事なんて思いもよらないのだ。
「あ、そだ。
 紅茶飲もうよ。ポットとカップもあるし。泊まりは……しないんだよね。荷物ないし」
「そうね」
「じゃあ少し。受信水晶(テレビ)ある?」
「うん、あるよ、父さん」
着替えを持って部屋の中央のテーブルに向かうソフィアさん。
「……あなた、少し外に出ていてくれる?」
小さな声でお母様が囁き、ガランディッシュさんが頷く。
そのままそっとナトハルさんは外に出る。
ドアの閉まる音に、着替えをベッドにうまい事形を保ったまま放り投げポットを片手にとったソフィアさんが振り返る。
「あれ? 父さんは?」
「ちょっと、話したい事があるのよ。ソフィア」
「え?」
お母様が小さく息を吸う。
「恋じゃなくても良いわ。エリック君を好き?」
「うん。好き」
即答だった。
なんの迷いも躊躇いもなく、ただ素直にソフィアさんは答えた。
少し見にくい。静かに移動し、ソフィアさんの顔を見る角度を変える。
見えたソフィアさんの顔は、少し赤くなっていたけれど、けして何か誤魔化すような色はない。
「恋愛もあるけどね。それ抜きでも好き」
そう言って、嬉しそうに――本当に嬉しそうにソフィアさんが笑う。
「他の人に取ったら、エリックって非日常的で、遠い所にいる人なんだろうって思うけど、私にとっては、エリックは非日常だけど日常で、当たり前にずっと傍にいたし、だから嫌いになるのは無理だし、どうしても好きって思う。
 それぐらいには好きだよ」
それは、心からの本音。
たとえ恋愛がなくても好きと、そう言いきれるだけの絆を信じている声音と表情。
幼い時からの刷り込みみたいなものかも知れない。
けれど、このソフィアさんの、屋根裏からでもはっきり分かる真っ直ぐな表情を見ると、錯覚だったとしても、それはとても大切なものなんだと思う。
いや、どんな感情でももしかすると錯覚に似たものかもしれない。ただ、錯覚でも、積み重なっていって、どこかで芯を持ったら感情だ。
私がレコンに連れ回される内、なんだか良い感じの気持ちを抱いてしまったように。
「……そう」
少し間が空いて、お母様からの返答が帰る。
「なら――良かったわ」
「うん。……どうしたの? 母さん」
「別になんでもないわ。聞いてみたかっただけ。
 でも……そうなのね、好きなのね。ならこの際玉の輿よ、玉の輿!」
「ど、どうしてそっちに話が行くのー!」
「あら。好きなんでしょう? あれだけ良い物件はなかなかないわよ。がっつりいきなさい、がっつり!」
「ええーー!?」
そんな遣り取りになだれ込んでゆく親子の会話。いつの間にかガランディッシュさんも入ってきて一緒に楽しそうに笑っている。
なんだかもう、キスの事とかは、ソフィアさんの中で一時保留になったようだ。親が来たものね。
「ルイル、今日はもう弄るのやめようかなって思うんだけど――」
「……いいなあ」
ぼそり、とルイルが低い声で呟く。明かりに照らされた顔には、先ほどまでの豊かな表情がない。
え?
「どうしてオレには……」
ぼそぼそと小さく続けられる、私には聞き取れない言葉。
オレ、という人称が、なぜかそのルイルのぼんやりした表情のない顔によくなじんでいる気がした。

ソフィアさんのご両親が帰ってから、訊こうかどうか、迷った。
結局、質問の言葉を喉の奥に押さえ込んで耐えた。
この隊には精鋭が集まる代わり、脛に傷持つ者達もいる。それは分かっているのに。
それでも訊きたくてたまらない自分が、酷く醜く思えた。

区切り

ルイルが落ち込んでいる。何故かは分からないが、確実に落ち込んでいる。しかも、自己嫌悪系で。
そしてそれ故に、自分のシフトを待つために使用される十三番隊控え室は、なんだか暗い雰囲気に包まれていた。
「……ルクス、あと三十分で交代だな」
「うん。……そうだね。……ルイル、を、労ってあげないと」
「………? どうした? 次の担当時間にソフィア殿の所へ殿下を連れて行くぞ? 気を抜くなよ?」
「……気なんか、抜いてないよ」
そんなあからさまに他の事で落ち込みながら言わんで欲しい。幸い皆は調査と護衛で出払って俺達二人しかここにいないからいいが、副隊長がそんな様子だと隊員の士気に関わりかねない。
「……どうしたんだ、本当に。お前が落ち込んでる事ぐらい、トレーシングペーパーよりはっきり透けて見えるぞ」
「あー、うん。大丈夫だよ、レコン以外の前じゃこんな態度取らないから」
「それでも無理するなよ。何で悩んでる? 俺はそこらの同い年よりは経験を積んでるつもりだ。とっとと話してすっきりしてしまえ」
「うん。そだね。
 ……ルイルの事なんだけどね」
「ルイル?」
「昨日ソフィアさんのご両親が来たのは知ってるだろう?
 その時、ルイルの様子が変だったんだ」
しゅん、とうなだれながらルクスが暗い声で言う。
「ああ……それはそうだろうな」
今はサリフと付き合い、ひとり暮らしをして、それなりに幸せであるだろうが……。
隊長になった時、渡された調査書が脳裏に蘇る。ルイル=スィルク。ウォルア大陸南部地方出身。出生地は治安が悪いと言われる都市の、スラムと富民街の間にある、中級階層の者達の住む地区。生後まもなくそこから転居。
……幼少期に、両親は離婚。紆余曲折を経て養父が男手一つで九歳から十六歳まで育て上げる。
その詳しい経緯の記述を思い起こすだけでも、片親で貧乏であろうが、覚えている限り父と兄の愛情に包まれていた俺など取るに足りないものなのだ、という気分になる。
「……それの原因……訊いてしまいそうになった……」
ルクスの声が更に沈む。顔なんかも部屋が薄暗くなっているのかと思う程暗い。
「……ああ……」
好奇心が強いルクスの事だ。おそらく『思った事がすぐ顔に出る』タイプのルイルが見せた謎めいた態度に、思わず訊いてしまいそうになって、その後すぐ反省した、といった所だろう。
だがそれは仕方ないのではないかと思う。ルイルが南部にいた頃の記録に数年間の空白があったりと、調査書を読んだ俺でも若干興味をそそられたぐらいだ。貴族育ちのルクスなら尚更、自分とは違う暮らしに好奇心をそそられたのだろう。
「最悪だよ。レコンならともかく、うちの隊の連中はすねに傷持つ奴だって多いんだ。
 なのに、ルイルの昔を尋ねるなんてさ」
「ふむ……仕方ないだろう。それは。
 誰にでも好奇心はあるし、人の価値というのはそこでいかに人に気を遣えるかにあるんだ。そこで目を輝かせて余計な詮索をする奴こそ最悪なのだぞ。
 お前はそこで自分の欲望を止めた。ならばお前はちゃんとした奴だ。
 それにルイルは色々ありそうだからな、訊きたくなるのは当たり前だ」
「そう言ってくれると嬉しいけど……。
 うん、そうだね。自制を大切に、って事だよね」
「そうそう。だから立ち直れ。いい加減こっちまで憂鬱になってたまらん。じめじめじめじめカビでも生えそうだ。私の頭が緑色になったらどうしてくれる。スイカ男になってしまうだろうが」
「ふっ……なんなのさ、それ」
紺色の目を細め、くすくす、とルクスが笑いだす。
「ありがと。元気が出たよ。しかしレコンに慰められるなんて世も末だね」
「どういう意味だそれは。俺はいつでも優しくって頼りになるいい男だろうが」
「それを自分で言うあたり、レコンがレコンたる所以だよね。本当に完璧男なのが若干イヤミだけど」
「……政治経済は苦手だがな。家計簿つけるのは得意だが」
「まあそうだね。でもま、君は殿下を守る、殿下は君に守られて政治経済を動かす。さりげなくバランスとれてるよね」
「そうだな。適材適所という奴だ。殿下は忠誠を誓うに値する御方だし。
 ……そうだ。ルイルの昔を聞けなかった代わりに、俺と殿下の昔でも聞いていくか?」
「それはいいねえ」
「だろう? では初対面の印象から……」
そのまま殿下との懐かしい日々を語ろうと身を乗り出した、その時だった。
「あのー、レコン隊長。お話があるんですけれど」
ノックの音に続いて、噂をしていた影の声。
「うお、ルイル?」
「そうです、ルイル=スィルクです。休暇願をしに参りました。……入っても?」
「あ、ああ……」
失礼します、と挨拶しつつ、ルイルが控え室に入ってくる。
「正式な申請書類は後で提出しますが、隊長に先にお知らせしておきます」
そう言ってルイルが差し出したのは、日付と休暇の種類を書いた紙だった。
「ん、分かった。
 ふむ。この休みは、サリフとの結婚準備用か?」
「確かに本決まりになりましたけど、まだ先ですよ」
「ではデートの日取りか」
「いいえ」
ふるふると首を振るルイル。
じゃあ何だ、と聞きたかったが、よく考えればただ休みたいだけという事もあり得る。
「ふむ、では了解した。申請はいつものように私の机の上に」
「はい。それでは失礼いたします」
礼をしてルイルが出て行く。
「ルイルが休暇かい? 忙しくなるねえ」
「まあな。その分俺たちの有休の時は、ルイル達が忙しい。これも一つのバランスだな」
「ふうん……」
俺が渡した紙を受け取り、ルクスはざっと目を通す。
「それにしても相変わらず、ルイルは無給休暇ばっかだね。有休はほんの少しだ」
「まあな。どういうつもりか分からんが。そちらの方が財政的には助かる、と経理係は言ってたが」
「そうだけどねえ。いったいどうしたんだか」
「さあ? まあ、教えてくれる時を待つか」
「……そうだね。待とう」
どこか吹っ切れたような顔でルクスが笑う。
その顔が明るく見えたのは、銀の髪が揺れて明かりを反射したからだけではないと、俺は確信していた。


「さて。じゃあ、ソフィアにアタックだー!」
「おおっ!?」
「なに吃驚した顔してるんだよ。どーせお前らに引きずられて会いに行く事になるんだろ?」
なんか色々開き直ったらしく、執務室の椅子に座った殿下がふんぞり返る。
「ソフィアも暇だろうし、好きな菓子でも買って会いに行く。
 仕事もう終わらせたもんね」
ふふん、と得意げに鼻を鳴らし、機嫌良く椅子から立ち上がる殿下。
「……どういう気分の変化ですか、それは」
「朝起きたらなんか寝覚め良くてすっきりしてはっきりしてた。
 たまにこういう事あるんだよな。昨日ソフィアに会いに行かなかったから早めに寝たのが効いたかも。
 それにやっぱ、俺にとってはソフィアは特別だし。ソフィアに会うのは普通っていうか、いつもやってる日常っていうか。仕事も終わったのに堪えてたら体の毒!」
やけに明朗に殿下が主張する。朝起きたら気分がすっきりしてはっきりって、そう言うところは年相応に若々しいなあ。
「さあさ、行くぞ。出発進行ー!」
青春真っ盛りな殿下は、元気よく私たちを付き従えて城下へと繰り出した。


「たのもー!」
店に入って開口一番、殿下が自分の存在を店中に響き渡らせる。
とはいっても、そこには苦笑する馴染みの売り子と常連達だけしかいない。
「はいはい、エリック坊や。今度は何を買いに来たんだ?」
「苺。苺入りの何か。女の子の好きそうなやつ!」
そう言いながら殿下はレジカウンターの前に立つ。
「了解」
にこにこと屈託無く注文を告げる殿下に笑い返すと、売り子は昼でも既に数少なくなったショーケースの中からいくつかのケーキ、そしてムースとシュークリーム、プリンを取り出してカウンターの上に置く。
「ついでにエリ坊の好きなチョコケーキも出しといた。護衛さん方の分は?」
「要る? レコン、ルクス」
「いえ、遠慮しておきます」
「んー、俺はもうここで予約してるんだ。だから止させてもらうよ」
「だってさ」
「はい。じゃあこの中から選んで」
「じゃあこのムースみたいのとシュークリームと……んー、ケーキの中でおすすめは?」
「これだね。新作だけど、常連さん方に味の保証はもらってるよ」
「じゃあそれで」
「焼き菓子もいるなら、出来立てを待つ? 二十分位かかるのだけれど」
「じゃあ待つよ。その間店の中で食べてくから、それ用のも追加して」
「了解」
イチゴのピンク色ムースをスポンジで団ばさみにしたもの。
イチゴのクリームが中に入り、サクッとした感触が感じられそうな生地のシュークリーム。
イチゴのソースが上にかかり、スポンジの中にもイチゴのクリームとその中にイチゴをサイコロ状に細かく切って入れた物が挟まれている、新作であると店員がすすめたケーキ。
ラズベリーがデコレーションされた、スポンジもクリームもチョコが入っていそうなチョコレートケーキ。味わいは濃すぎず薄すぎず、甘すぎず苦すぎず、絶妙なものである。私は殿下にすすめられて食べたが、張る値段も安く感じた程だ。
そして残りは新作のオレンジピールをオレンジジャムに混ぜ、それをふわふわのスポンジで挟み、その周りにまた生クリームを塗り、オレンジピールを乗せたもの。
殿下はカウンターに並んだそれらを見て一つ頷き、財布から二枚の紙幣と一つの硬貨を取りだしてカウンターに置く。
店員は代金を受け取ると、三つは贈答用ケース、一つはシンプルな持ち帰り用ケースに入れ、もう一つは食事用のトレイに紅茶と共に置く。
そして二つのケースは保冷庫に入れ、トレイは殿下に渡す。
殿下は嬉しそうな顔をして、喫茶店にもなっている店内のテーブルのうち一つに座る。
「エリ坊、久しぶりだな。忙しかったのか?」
「うん。ご無沙汰です、ラウおじさん」
相席になった壮年の常連に、殿下が挨拶する。
ここの常連は、ほとんどが『エリック坊や』が『殿下』である事を当然の事ではあるが知っている。しかし、誰も珍しがる事はない。
ソフィア殿に会った帰りなどにこの店のある界隈を殿下が幼い頃から頻繁にうろついており、最早『エリックザラット=ウォルア=ウィルクサード皇太子殿下』というたいそうな肩書きの人間であってもこの人達にとってはただの『エリック坊や』なのだ。
要するに、長期間接している間に馴染んでしまったらしい。
殿下は人なつっこく明るい。そして礼儀正しい。今はどちらかというと格好良い部類に入るものの、子供の時は可愛らしかった事も手伝って、『ウィルクサードさん家のエリック坊や』とでもいうような扱いなのである。
そして殿下もここの人たちに馴染み、懐いている。
「やっぱりなあ。仕事大変だろ? 最近変に物騒だし」
「そうですけど、それが家業ですしねえ」
「そうかい? 怪我無いように気をつけろよ」
「はーい」
殿下は屈託無い満面の笑み。仕事では決して見せる事のないものだ。
「っと、護衛のお二人も座りなよ」
『ラウおじさん』がテーブルの残り二つとなった椅子を勧めてくれる。
「あ、ありがとう。レコン、ルクスー」
はい、と応じて、私たちは椅子に座る。
「久しぶりだな、エリ坊ー」
「それ、彼女に土産か? 青春だねえ」
相席である壮年の男性の他からも殿下に声がかかり、店内は和気藹々とした雰囲気になっていった。
だが。
「いらっしゃいませー」
「こんにちは。店内で食べたいんですけれど、席空いてますか?
 ぁ、エリック久しぶりー」
「久しぶり。元気?」
「うっっ……うわあぁぁ!?」
入ってきた三人組のうち一人が上げた声で、その空気はぶちこわされた。
二人は顔なじみで、殿下と一つ違いの十九歳の少年二人。
声を上げたのは、その二人の友人らしき新顔だった。
「おい、なんだよファルス、急に声上げて」
「だっ、だって殿下! 殿下じゃんあれ!」
「あれって失礼だろ。エリックだよ」
「何でおまえら馴染んでんの!? こんなところに殿下いたら普通吃驚するだろ!?」
「珍獣みたいな言い方するなって。落ち着けよ。よくこの界隈にはいるし、普通だって」
「そうそう。別に気にするな。普通にウィルクサードさん家のエリックザラットとでも思っとけよとりあえず」
「普通って、非日常の代表じゃねえかよぉ!?」
「あーもう。ごちゃごちゃ言うなって。やっぱテイクアウトにしますね、ハルさん。
 この調子でぎゃーぎゃー言われたらたまんないや」
そのまま混乱している一人を引きずって、二人のうち一人が出て行く。
残った一人は注文を終えると、こちらに歩いてきて、
「ごめんなエリック。うるさかったろ。おじさん達もすみません」
「別に気にしねえよ」
「うん。いいよ。ちょっと吃驚しちゃったけど。あんな扱い久しぶり」
殿下が苦笑する。
「だよな。あいつも悪いやつじゃないんだけどさあ。状況適応ってのがなってねえよ」
「でも俺、身分無駄に高いもの。仕方ないよ。俺に吃驚するなって方が無理だよ」
「そうか? ……まあ、とにかくごめんな。次は遊ぼうな」
「うん」
じゃあな、と手を振って出て行く少年の背中を見送り、殿下はおもむろに紅茶に口を付ける。
店内は妙に静まりかえっていた。
「……なんか、複雑だなあ」
ふう、とため息を吐いた殿下に、常連達は何か声をかけようとするが、何を言って良いか分からないらしく口を閉じる。
当たり前だろう。王子ではあったとしても、彼らにとって殿下はただの近所の少年なのだ。小さな頃から知っている、時々やってくるエリック坊や。
打算も計算も欺瞞もなく、殿下が日常の一部であった人々にとって、あの彼は非日常そのものなのだ。殿下を本来非日常なはずの存在であると再認識させてしまう彼こそが。
たとえ一般の人々にとっては殿下は本来非日常なもので、それに馴染んだ彼の友人と常連達こそが特殊な感性を持っているとしても。
「ふむ。ぶっちゃけて言いますと、殿下はこの国一珍しい職業ですしね。しかもあれ、騎士団の新人です。あなたの思いっ切り見栄張ってる時が印象にあるのではないですか?
 まあよくある有名人の弊害です。変に気にするなぞケツの穴の小さい事などせず、笑い飛ばしたらどうです? どうせあなたはただの元ぷにぷになんですし」
「ぷ、ぷにぷにって言うな、ぷにぷにって!」
「ほっぺたが十歳のくせしてぷにぷにしてた自分を恨みなさい。元っていったでしょう、元って」
「元でも何でもだー! お前のせいで俺はあの後どんだけ落ち込んだ事か!」
「落ち込んだ後に怒りのままにトラップしかけてきた人がよく言いますね」
「全部やり返してきたお前が言うなあ!」
「ハイハイ」
「何その生返事ー」
「複雑な気分はどっか行ったようですね、単純君」
「……あっ……うわぁ、悔しいいい。またレコンに丸め込まれたー」
「何ですかそれ。せっかく年長者が上手く慰めたってのに」
「それでもだよ。レコンが口先八寸でぺらぺら喋るのに俺どんだけはめられまくったか。
 良い事でも悪い事でも、なんか複雑」
「ふ、青春真っ盛りのケツの青いガキが私に口でかなうわけないでしょう? こちとらあなたより七年長く生きてんです。経験と器が違うのですよ」
「俺の器は小さいってか」
「いいえ? 私がほれぼれする程大きいですよ。でなければ誰が忠誠など誓ったりするものですか」
「……なんかお前、言ってることが微妙に違う気がする。てか違うだろ」
「いえいえ。ただあなたが器は大きいけれど丸め込みやすく変なとこ微妙に繊細でもう勝手に夕日に向かって河原走っていっちまえなぷにぷにだとしか言ってませんよ」
「ぷ、ぷにぷに言うなー!」
「やーいやーいぷーにぷに」
「何その棒読み。それがふんぞり返りながら主に言う言葉!?」
「ふっ……大人には子供には分からぬ機微というものがあるのですよ。打てば響く性格の人を意味なく手のひらでおちょくって転がしまくりたくなるとか」
「子供には大人には分からぬ機微というものがあるのですよ。自分でいいように遊ぶ奴の給料明細の数字をちょっと減らしたくなるとか」
「うっ……!」
私が大仰に仰け反ったのと、ぶっ、と相席の男性が吹き出したのは同時だった。
そのまま男性はくっくっくと苦しそうに腹を抱えて笑い出す。
「エ、エリ坊……お前ら面白いなあ」
「面白いって、こっちは真剣に話してるんだけどな、一応」
殿下が拗ねた顔をしてケーキを頬張る。
しかし周りからも微かに笑いを堪える声が聞こえてくる。
「私は真剣と書いて適当と読む精神を貫く所存です。青春時代は夢なんですよ若造」
「こらぁ! 青春やってる方の事も考えろこの老け顔! 精神的ハゲ!」
更に吹き出す音が重なってゆく。そして、誰かがはっきりと笑い声を上げたのを皮切りに、店の中に大爆笑が響いた。
「うははははははは! もう堪らん! なんだそりゃ、うはははは!!」
「笑うなよぉ!?」
「それは無理、ははは、エリ坊、勘弁してくれ」
「良いじゃないですか殿下。笑う門には福来たる。The laughter saves the worldです」
「笑いは世界を救うって、何だよお前」
びしっ、と指を立てる私を見ながら、殿下も方をふるわせて笑い出す。
あの妙な空気は、皆にとっては立て直したいものだったようである事も加わって、店内の人々は笑っている。おかげで雰囲気はまた温かいものへと戻る。
もうこれで大丈夫だ。
こんな事だって、殿下に馴染んだここの人々は何回か経験しているはずだから。
良い意味での気遣いや思いやりでもって、また殿下との関係をうまく保ってくれるだろう。
私は思わず顔をほころばせると、作りたての焼き菓子を厨房から運んできたパティシエに目をやる。
カウンター内で目を白黒させている彼は、今までの成り行きを理解できていないのだろう。
私は椅子から立ち上がり、焼き菓子を買うために店員の方へと歩き出した。

区切り

「んー…。なあ、レコン」
帰り道、菓子の入った袋を片手で持ちながら、殿下が私に声をかけてきた。
「なんです?」
「ありがとな。フォロー」
「ああ……。でも、フォローしてたつもりだったんですが、途中から本気になってました」
「そんでもいーよ」
「そうですか。それでは思う存分褒め称えなさい」
「お前ほんっと良い性格してるよな」
「そんな事昔から知ってるでしょう? なにせ元ぷにぷに王子なんですから」
「うーわー。……でも、まあ確かにな。
 初対面で仮にも自国の王子に向かって『なんだ、このぷにぷには』って言うような奴だもんな」
「そりゃそうですよ。確かに他の子供とはひと味違いましたけど、それでもただの小さな子供だったじゃないですか」
「そーいう奴あんまいないし、いなかったんだよ。
 しかも遠慮ナシに俺様な行動繰り返してさ」
「一応気も遣いましたよ? 当時では破格の対応でした」
「……うん。それは一週間ぐらいしてから分かった。お前の俺への構いようって、尋常じゃなかったし。
 普通十七歳の男が、一日中付きっきりで自分は遊びもせずに風邪引いた子供の世話なんかしねえもんだ」
「まあ、ね。でも仕方がない。そうする事が自然だと思ったんですよ。
 それに、なんていうか、本当にあなたの傍にいる人って、七歳のソフィア殿だけだったでしょう?」
「うん。
 ……で、本題に戻るけど。お前は途中から本気だったにしても、結構救われたよ俺は。
 あーゆー空気になっちゃったら、昔から俺、そのまま用だけ済まして帰るしかなかったもの」
「そうだったでしょうねえ」
「……なんだろな。やっぱ俺って珍しいっていうか……何なんだろ」
「さあ。あの空気読めない彼にとっては日常の一コマに突然降って湧いた非日常、って事になりますね。
 日常じゃあ水晶越しに演説を眺めるだけの非日常的な存在が喫茶店でくつろぎつつ友人とさも当然のようにトークをかますんです、当たり前でしょう」
「そうなんだよな。
 なんかさ、自分にとっては日常なのに、非日常って言われるのは複雑だな」
「そうですね。でも案外、みんなそんなものですよ。誰かにとっては日常、誰かにとっては非日常。程度の差こそあれ、そういう事はままあります。
 でも、その差異はただの職業とかで区切られるものですから。殿下のようなレアな『日常』は、ある程度変わっていない限り、慣れていないと吃驚するものなのですよ。  しかも殿下の場合、たまに先日のテルブ家の事件のような非日常も混ざって来ますしね」
その上、王族と聞いて一般庶民が連想する、お城の中で豪華ディナー、デザートは特注、来ているものは最上級の絹で、城下町に降りるのは年に一、二回の視察の時のみ、金は有り余ってウッハウハのきらびやかな部屋……といったものとは殿下の生活はだいぶ違っている。
城の食堂で食堂のおばちゃん達の作る色とりどりのメニュー(高級レストラン並みだが庶民の味)に舌鼓を打つ。時々自炊。
デザートはあの界隈(名店が多数ある競争区)に買いに行き、来ているものは上質であっても動きやすい生地を選び、あまり絹は選ばない。
城下町に降りるのは年に一、二回どころか、ソフィアさんへのアタックは平均して週四回のペースだ。しかも給料制(月八千Srでさらにそれから税が天引き)で国庫に手を出す事はまずない。
家は王城だが、文化財なので公務員が手入れする。殿下の部屋は殿下と私が掃除する。ちなみにあんまり知られていないが、数部屋は一泊八百Srで借りる事が出来たりする。賃貸契約可能。
だからといって、今までの王家の人々が皆そんな暮らしをしていたかというと、そうでもないだろう。給料制を自分に課して浪費を戒める者も、これだけ城下に降りる者も、殿下以外あんまりいなかったのではなかろうか。
「んー。そだよなー」
殿下は小さく息を吐く。
「そういうもん、だな……」
「そうですよ。
 ……でも」
そこで一旦言葉を切った私を、殿下が青と茶の瞳で真っ直ぐに見つめてくる。
「時間がかかるのが普通です。そんなにすぐ状況に慣れていたら、それこそ本当の、誰から見ても異常な出来事に気付かないかもしれません。
本当にどうにかしなければならない事態に遭遇した時のための、大事なプロセスの一部なんですよ。多少人の気性は関わってきますがね。
 とりあえず、居るだけで良いんじゃないですか? 自分の日常を、『日常』のものとしてくれる人が」
私も殿下を見返す。透き通った青と、濁った茶と視線を交わす。
その二つの瞳が細くなる。
「……うん。そんで、増えてくれると嬉しいな」
「増えますよ。あなたが望もうと望むまいと。私だって殿下の傍にたどり着いたじゃないですか」
「そうだな」
殿下が微笑む。私もつられて笑い返す。
さあ、それでは城に帰りましょう。
あなたの日常の中で、もっとも特別な存在に会いに。

「……というかね、どうして私の存在無視するかな、君達」
「あ、気付いてたんだ」
「いや、ちょっと面白いかと思ってな」
「……いいよいいよ。どーせいつもの事だもんね」
「まあまあ、拗ねるな拗ねるな」
「誰の所為だと思ってるんだい!」

区切り

日常は人それぞれ。
ある人にとって完全な日常でも、それが非日常と言われるものである人もいる。
そして日常の中に、非日常が少しずつ。
それが人生。それが世の中。だから、人の出逢いは一生ものだ。

けれど。
起こる時が、ある。
明らかに日常でない非日常。
そんな出来事が、起こる時が、ある。

嵐の前の日々が、どれだけ穏やかに過ぎていたとしても―――




第八話 おわり
第二部 序 に続く(下のNEXTは後書きへ続きます)

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