それはとても遠い日の約束。
忘れていても、果たされた。
「……というわけで。
フォルティン=テルブはまだ正気に戻っちゃいないが、他の関係者の話から、まあ既に知ってるだろうが――事件の全体像が把握できてきてる。
あ、レコン。お前も事情聴取な、依頼の件で。ルパートよりお前の方が、捜査する奴は疲れなさそうだし。
それとそこのフリージャーナリストさんは、まあそんな事しないと思うけど、どこにもこれを書かない事」
サリフがカーペットの上に座り、警察手帳をめくりながらマイペースに報告する。
「……ちょっと待て、サリフ=ディルジオ」
「ん? 何、殿下」
「ずかずかソフィアとの食事中に上がり込んできて、何をしゃべり出すかと思えば。
そんな事ただの家で言って良い事じゃないでしょ」
「殿下を日常的に招き入れ、父親はフリージャーナリスト、祖父と祖母達に至ってはティルク=ムート戦争で超有名な人々とまでくる一家が『ただの家』と言える根拠はあるのか?」
ないですね。うん、ない。
でもだからといってそんな事を言うなっつうか、どういう神経しているんだというか。
「大丈夫だよ、エリック君。俺は漏らさないから。後で法的効力のある誓約書を書いておくよ」
ああ、おじさん、なんて優しい。
一方おばさんは、少し会話を交わしたけれど、いつもより口数が少ない。レコンの前になるとビクビクしている。
まあ、あんな事があったしなぁ。
思えば多分、レコンはあの時、おばさんを『例の』迫力で圧倒したんだろう。凄かったもんな。
「サリフ。事情聴取の日時は?」
そしてここまでサリフとの会話に徹するレコンもレコンだよなあ。
「好きな日で。そうでなけりゃあお前ごてるだろ」
「まあな。ああ、そうそう。話をややこしくした仕返しを後で楽しみにしているがいい」
俺の隣で夕食を礼儀正しく、残すことなくたいらげたレコンが、フォークを置きながら告げた。
「それだけは勘弁してください」
俺に注意されても平静にかわしていた刑事の顔に、焦りと恐怖が浮かぶ。
レコンの仕返しとはそんなに恐ろしいモノなのだろうか。
「レコンの仕返しはね、それはもう、昔の恥ずかしい思い出やら、自分のした事を完全に棚に上げての説教やら、言い返せるのは、もの凄く頑張ったときの俺か、そっちも開き直ったどっかのナルシストとか、ひと味違う輩しかいない、ネチネチネチネチしたモノなのだよ。
しかも時々、説教が短いと思ったら部屋の中に罠がいっぱいとか、それもなくて安心して外に出ようと思ったら落とし穴があって、落ちた自分をレコンが上で腹抱えて笑ってるとか、バラエティーに富んでいるから慣れる事も不可能なのだよ。
それを宣告されるとは…。ただでさえ下僕っぽいのに、最悪だねサリフ」
……うわ、確かに最悪。
「ちなみに本気でこっちが悪いときは、真剣に説教してくれるという面もあったりする。
早い話が『根が良い奴でさえなければ』って感じ?」
「それを本人の前でいうな、本人の前で」
「なにがだい、この腹黒隠れ俺様めが。君、『俺様』って俺の前じゃ四十回以上言っているよ」
豆知識発覚。いや、この二人ってどうなっても掛け合いが面白そうだなあ。
「はん、この俺様の台詞の回数を数えるとは、そっちも十分ねちっこいではないか」
言った! 『俺様』言った!
「エリック。レコンさんってちょっと私生活と仕事の時の差が有りすぎるんじゃない?」
ソフィアが小声で耳打ちする。多分レコンには聞こえているだろうが、レコンはソフィアには攻撃しない。
俺の愛する人だからだろう。私生活でも、忠誠と礼儀(例外あり)は守る、というわけか。
「そうだねぇ。でも、なんか俺の命令は聞くみたいだから、大丈夫だよー」
はっと息をのむ音とともに、サリフの視線が背中に刺さる。
ええそうですよ。一国の王子だって、こんな喋り方だってするんですよ。
と、そんな事を考えていると、ソフィアは少し考え込んでいるようで。
「ソフィア?」
「ああ、ごめん。考え事」
「なあに」
「いや、なんか変な感じだったんだけど、もしかして、ディルジオさんって、エリックの事を王子様扱いしてないんじゃない? そりゃあ、殿下と呼んじゃいるけれど」
ああ……そういえば。
あんまり俺を殿下扱いしないな。まあ俺はソフィアが俺に対して『王子様扱い』しなければ他はぶっちゃけどうでもよかったから、気づかなかったけれど。
「レコン、何か分かる?」
「そうですね。元々私もサリフも、基本的に誰にも従わない質なんですよ。今の私たちの言動を見ていても分かるでしょうが。
まあ私の場合は礼儀を尊重しようと少しは思っているのですが、サリフはどうも昔からフワフワした奴でしてね。性格も外見もフワフワしてないんですが、総合すると何故かフワフワしてるでしょう、あれは」
確かにフワフワして変に浮世離れしている。しっかりしてそうなのに、どこかが違う。
「何というか……物語で言えば吟遊詩人なんですよ。傍観者の。
ですから、まあ、話していて差し支えなければ、基本的に敬意は持たないみたいですね。
あ、でもお望みでしたら殿下に相対するにふさわしい行動をするように、私が一ヶ月ほどルクスの言ったネチネチ攻撃をしてもいいですが?」
ひぎぃっ、と小さな叫びとともにサリフの体がはねる。昔何やったんだレコン。
……しかし、確かに二人とも、基本的に誰にも従わないだろうな。レコンはむしろ従わせる側だろうし。サリフはあんまりそういう事を元々考えないたちのようだし。
あ。そういえば。
「スィルクは?」
「はいっ! ただいま帰りましたぁ!」
ばたーん、と床板が開いて、絶妙のタイミングでスィルクが出てきた。
ソフィアの家、どうなっちゃってるんだろ……。壊れちゃったりしないだろうか。
「サリフさんともう少しいたかったっていうのが本音ですけど、勤務中でしたし、途中で別行動を取っていたのです。
今回の原因となった方々の浮気相手についての調査をまとめてきました」
そう言って、まだ食事中の俺を気遣ってか、書類をレコンに差し出す。
「ふむ」
レコンがびっしりと文字の敷き詰められた二枚の書類に目を通す。
「短時間でよく調べてあるな。
だが、肝心の浮気相手が不明か」
「はい。隠されているのかもしれません。ボクの調査能力の限界までやりましたが、不明でした」
ぴしっと背筋を伸ばしてルイルが答える。
……護衛隊の調査権限はかなり大きく、能力も優れている。ルイルは調査に関してはそれなりにいい成績を上げていたはずだ。
なのに、不明。
「…ふむ……」
レコンの眉間に皺が刻まれる。しかも、それは二度、三度と読み返すたびに深くなる。
「……十五年前・血の繋がらない姉弟・浮気相手の特定不能・貴族の業務の為、あまり暇無し。
………サリフ」
「なんだ」
「今の言葉でできる物語を言ってみるがいい」
「……十五年前の事に、業務……。
業務の内容を」
「最北の大陸よりの使者の世話役」
それはまた、外れてはいけない重要な業務だこと。
…………。あれ。
ディルジオがアゴに手を当てて考え込む。
そして、その顔がみるみる驚愕の色に染まった。
同時に俺も同じ考えに至る。
「………その使者との禁断の浮気があったとしたら。それは双方の国にとって好ましくない。よって隠蔽される。
そう、それこそ王子の護衛隊の調べすらつかない程に………!」
自分の推測を言う間にも顔が若干青くなってゆくディルジオに続けて、
「その後、夫婦のよりは戻ったものの、生まれた子はどうにもできない。
実の親として、どうにか彼らを引き取るが、そのゆがんだ生活は、女程には精神的に逞しくない夫を狂わせる。同時に、妻もやはり徐々に歪んでゆく。
そしてその中で、フィラナルがチヨと恋をした事が発端になって、今回の事が起きた」
俺も推測を口にする。
そうだ。それ位でなければ、いくら貴族とはいえ、あそこまでの凶行に走りはしない。
しっかし、ただでさえ最北の大陸であるセリディアは閉鎖性が強く、ウォルアとはクリファン大陸を挟むので事情がややこしいのに、どうしたものか。
ダフィラシアス達の心情と立場も複雑になってしまうし。
その場の全員が同じ考えに陥ったらしく、沈黙が居間に満ちる。
「これは、レコン、アレしかないな……」
真剣な様子でサリフが口を開く。
「ああ」
レコンも真剣な様子で頷く。
「どうするんですか?」
ルイルが皆の心を代弁するように、問う。
レコンはサリフと頷きあうと、
「「なかったことにしよう」」
「いや、それできたら苦労ないし」
ソフィアが全員の心情を代弁するように見事なツッコミを入れた。
「……出来ちゃったよ、『無かった事』に……」
俺はソフィアの部屋の布団に座り込むと、惚けたままで呟いた。
そうなのである。意外と簡単に
「ふふん。どうですか、私の案は」
「レコン、君ねえ、みんなの口の堅さがあってこそ『無かった事』に出来たのだからね?
胸を張るのをやめたまえ」
「発案は俺だからな。胸を張っても良いだろう?
ま、学生時代から幾度となくサリフとゼロに強要はしてきたが」
「……あの二人が報われる事を祈るよ……」
そんなトークを横でレコンとシェランが繰り広げている。相変わらずレコンはむやみに目立ったままだ。
レコンの性格、だいたいつかめてきたかも。
まあいいけどな。何故か俺の言う事には従うみたいだし。礼儀は一応尊重するみたいだし。
それでも、動揺のせいか、護衛隊の奴らの気配がちらほら感じられる。
俺だって一応、剣で鍛えているからな、それぐらいは分かる。
「……お前、よくその性格を隠してこれたよなあ」
ため息をついてレコンに話しかけると、
「隠していたつもりはございません。仕事中は気合いを入れていただけです。
まあ、色々やりたくはあったんですけどね、規則もありますし、隊員達を手なずけるので手一杯でして。
毒をもって毒を制してみても良かったのですが、それは殿下がお困りになるでしょう」
ああ、こまるとも。
ただでさえ厄介な護衛隊なのだ。文句なしに強いのはいいものの、時々暴走するわ、問題起こすわと、傍観してていい立場の俺も時々巻き込まれたりするし。
レコンはそれすらも制する事が出来そうな『毒』の持ち主なのは分かる。
だが、その『毒』はもっと厄介そうだ。
よく分からないけれど、少し扱いが難しいのではないかと思う。
俺の手に負えない程度ではない、というのは何故か確信しているけれど。
俺と、少し何となく似てるし。
似ている、というので、レコンがルクスの事を好きなのを思い出す。
それを隠すのまでうますぎるぞ、レコン……。
ぁ、そう言えば。
「レコン、ちょっとこっち来い」
「はい」
部屋の隅に移動して、ルクスにも、他の誰にも聞こえないように小声で囁く。
「……さっきの『渦』な話なんだけど。
もしかして、他の隊員達に聞かれてないか?」
「私にとって、人を言いくるめて思うとおりに動かす事は造作のない事なのですよ、ある程度は」
……人払いしたんだ……。というか、言いくるめられたのか、精鋭達よ……。
「じゃあ、大丈夫なんだな?」
「はい。気配も特にありませんでした。そうでなければ私はあんな事をしません」
ルクスの髪に口づけ。ああ、確かに人前ではやりたくないだろうが……。
「お前、意外と図太くないのな……」
「ええ。ソフィアさんにアタックする模様を私たちに見せている貴方程は」
「……そういやそうだった……」
確かに俺の私生活、こいつ等にただ漏れだ……。
ただし、執務室内は、機密事項保持の為、護衛隊長と俺、その他許された人々しか様子を知る事は許されない。
その為に、王と王子の部屋は完璧な防音となっている。
建国王がそれを見越してか、今俺たちが住んでいる王城を建てる際にそう指示したのだという。
それでも、護衛隊長のレコンは知ってるしな……。
「……王子の悲しさですね。図太い以前に、慣れでしょうがね」
なら言うなよ。
「……さっきから俺を仲間外れにして、何二人で怪しくこそこそ話しているんだい。
俺も仲間に入れたまえ」
「無理だ。男同士のひそひそだからな」
「うんうん。男同士の約束だもんな」
約束なんてしてないけど、ノリでいってみる。あ、結構楽しい。
「………」
あ、拗ねた。しかも今時しゃがみ込んでのの字だし。
「まあまあ。後で都合のいい改変を加えて説明してやるから」
「いいよ別に。適当に辻褄あわせなくても」
うーん、ルクス=シェランが常識人に見える瞬間。
「あがったよ、エリック」
ドアが開いて、寝間着姿のソフィアが声をかけてくる。
「んー、じゃあ入らせてもらうね」
「……ちっ。今回あのドジを踏んだらどんな皮肉を言ってからかおうか考えてたのに」
レコンがさらっとそんな事をいう。
「けんか売ってる?」
「……いいえ」
一瞬迷うんじゃねえよこの野郎。
そう思ったが、なんかこいつとやりとりしてると果てがなさそうなので、何も反論せずに立ち上がる。
すると、階下からもう一つ足音が響いてきた。
「おいレコン。ルイル借りられる?」
「……だそうだ、ルイル=スィルク。
あの調子だと、おそらく世間話の途中、普通の話のようにとんでもない話を切り出すから気を付けるように」
行ってこい、とため息とともにはき出された声に従って、一つの足音が下に駆けた。
「とんでもない話?」
「少々緊張が混じっていたんですよ、あの声に。
おそらく正式に結婚でもするんではないですかね」
「……は!? どうしてそこまで分かるんだ!?」
「どうしてそこまでわかるんですか!?」
ソフィアと俺の声が重なる。
普通の時の声とあんまり変わってなかったように思うんだが。
「サリフは常に『歌って』いますので。変に歌っていたら本人が変なんです」
「いや、あいつの話し方がリズミカルなのは分かってるから。
その微妙な違いをどうしてお前が感じ取れるんだ。
婚約者のスィルクでさえ気づいてなかったろ」
「あー……」
レコンは中を睨んだまま、少し黙る。どうも、似合う表現を探しているらしい。
「……友情と、直感?」
「いや、聞かれても応えらんないから」
いい年して首を可愛らしく傾げるなって。
「ですが、それぐらいしか言う事がないのですよ。
まあ、強いて言えば、小学校からの付き合いだから、ですかね」
「お前、全国津々浦々を転々としてたんじゃないのかよ」
報告書には高等学校の事しかなかったぞ。
「ええ、ですから少しの付き合いだったはずなんですが、偶然再会したんです。
まあそれで、サリフと私と後一人、問題児三人組で波瀾万丈な青春を過ごしたわけですよ」
「後一人? レポートにあったっけ」
そう言えば、隅っこに一つ名前があったような。
でも、それを思い出せる程読み込んでないし。大まかに曖昧読み(それでも普通の人よりかは読み込んでるらしい)しただけだし。
「ああ……私とサリフに比べて、いまいち地味でしたから。個人では目立つんですが、どうも霞みに霞んでいたようで。
ぁ、でも結構特別な事情があったんで、調査書では隠されているのかも知れませんね。
ゼロ=セロというんですけど」
思考が一瞬停止した。
ゼロ=セロ。
知り合いの名前だった。
しかも、もの凄く思い入れのある。
「……ゼロ兄さん?」
ソフィアが驚愕の表情で呟く。
「あ、知り合いですか、やっぱり」
レコンが頷く。
「やっぱりって……お前なあ。ゼロ兄さんはソフィアの祖父さんの施設にいた、俺とソフィアの兄貴分なんだよ。ソフィア第一の俺が知り合いじゃないはずはない」
「そうですよね。いや、なんか覚えがあるんですよ。
ゼロと一緒に施設に行ったとき、生意気な金髪と茶の瞳のガキと、栗色のガキがゼロの周りをうろちょろしていて、金髪のガキと俺でかなり喧嘩のしあい、悪戯の掛け合いをやった気がするんですよね」
『あーっはっはっは!
お前、『自分は王子だ』とか言って威張ったくせに、落とし穴に落ちるとはな!
ああ、愉快、愉快』
蘇る憎い声。それが、自分が落ちた穴の上から聞こえてくる屈辱。
時に遊び、時に悪戯しあった懐かしい男。
「アレはお前かー!」
「はい私です。で、あのくそ生意気なガキは貴方ですね。
ガキとか言っておいてなんですが、すみませんでした。解雇しないで下さい。忠誠誓わせておいて下さい」
「……いや、解雇しない。解雇しないけどさあ」
性格違うから、お前。
あの、俺が九歳か十歳の頃に出会った名前も覚えていない性悪男は、本気で俺の天敵だった。
……いや、レコンなんだけどさ。
いい奴だった。いい奴だったけど、なんか色々性悪だった。
互いを陥れる為にどれだけ策謀を繰り返しあった事か。
「なんと言いますかねえ。あの時に私と互角でやり合うのは貴方ぐらいしかいなかったので。
サリフとゼロはもう殆ど私の悪戯に無抵抗でしたし」
「だからといって7歳年下の奴に爆竹仕掛けるか?」
「だからといって7歳年上の奴に上から丸太が落ちてくるようなトラップしかけますか?」
「どっちもどっちじゃないの」
「どっちもどっちだねえ」
ソフィアとシェランが言う。ええその通りでございます。
でも他にもあるんだよ。ねずみ取りに指挟まれそうになったり、食卓で肉を全て取られたりとか。
「まあしかし、妙な事もありますねえ。
俺はそんな厄介なガキのことをどうして覚えていなかったのでしょう。
絶対翌年仕返しにいったでしょうに」
「俺も。お前あの時も目立ってたし、腕っ節も凄かっただろ。
十四ぐらいになったら絶対護衛に勧誘しにいっただろうに」
「……殿下がまともに見える瞬間」
さっき俺にはまともに見えたシェランが呟く。
うるさい。俺だって一応王子なんだからな。
「まあ、いいでしょう。アレを呼べば何か分かると思いますし」
「アレ?」
「ゼロですよ」
は? と聞き返す前に、レコンは携帯を取り出す。
「……ぁ、ゼロか。
ガランディッシュ氏宅に三時間以内に来い」
それだけ言って、携帯を切る。
「……え、来るの、それだけで」
「ええ、来ます」
そういや、『ゼロにーちゃんは下僕じゃないんだぞ!』ってレコンに叫んだ事あったっけなあ。相変わらずなのか。
………レコンの二人の親友(?)に、合掌。
俺が風呂も入って、寝る準備を整えた頃。
ゼロ兄さんは、息を切らして飛び込んできた。
そりゃもう、必死の形相で。
……一体何やったんだレコン。
「ああ、それはな。
エリ坊が自分の掘った穴に落ちたとき、レコンが庇って大怪我したんだよ。
で、王族のエリ坊と対立してた奴らがいきなり来てさ、なんのかんのと責め立てるわけ。
それに対抗して、俺たちはいっその事、『なかった事にしよう』と決めたわけだ。いつものノリで」
ああ、ここにも『無かった事に』が。
私はその妙な一貫性に感心しながら、ゼロ兄さんの解説を聞いていた。
「そんでエリックにも言い聞かせてたら、レコンの事忘れちゃったみたいでさあ。
いや、幼いって恐いなあ。
で、レコンも大怪我のショックでそこらへん曖昧だったわけ。覚える力が全部治癒力にいったみたいな感じ」
……うわぉ、凄い偶然……。
「ああ、そう言えばそうだったな。今回は何処で穴を掘ってるかと探していたら、殿下が落ちそうだったから、庇ったんだ。
そうしたら視界が真っ赤になってな。後は覚えてない」
「あー、そう言えば謝らねえとって思ったんだけど、そうする前にあれらが凄えうるさくってさ。
とりあえず『無かった事に』で自分を騙しとこうと思ったら、そのままそう思いこんじまったんだよな。俺って純粋。
レコン、とりあえずありがとなー」
エリックの話し方は、やっぱり私に対するものとは違う。
……どうしてだろうか。私の前と、他の人の前ではエリックの話し方が違う。
なんだか、嫌だ。
常々抱えていたもやもやをどうにかしたくて、思わず失礼だとは思うけれど、布団に潜り込んでしまう。
……一応、頭まで掛け布団は被らないで、エリックを見るけれど。
「……エリ坊。このへたれ」
ゼロ兄さんが私の方をちらりと見て言う。
「……あー、へたれですねえ、殿下」
レコンさんも私を見て言う。
「え? 何ヘタレって……あ」
エリックも私を見る。そして、しまった、という顔をする。
………なになわけ。わけわかんないわよ。
「はい、と言うわけで。
殿下には廊下で寝てもらいましょー」
ルクスさんがニッコリと笑って手を打つ。
「え!?」
「さてさて、殿下の護衛とそのマブダチも連帯だよ。
さーとっとと、出・て・行・き・た・ま・え」
ルクスさんはなんか妙に迫力のある声で三人に凄むと、
「ソフィアさん、君もね、なんか不満があるならガシガシ言いたまえ。
男なんぞ結局女より弱いのだから、遠慮していると損だよ損」
なんて私に声をかけてくる。
「……まあ、俺が寝るところはどうせ屋根裏だしな」
「俺は近所に勤めてるから。
何かエリ坊がしたら『ナンバーズ弁護事務所』までー。民事から刑事まで色々出来るからな。
泣き寝入りは止めとけよー。
ぁ、それと明日、飯食いに来る。レコンに作らせといて、絶品だから」
「ふむ。貴様の奴にだけ塩を大量に紛れ込ませておいてやろう。指定から一秒遅れたからな」
「えー!?」
カウントしてたんだ……。
「あの、どうして俺が」
『ガキは黙れ』
三人の声が重なる。
エリックは何も言い返せなかった。
大人って恐いなあ。
「レコン。お前さあ」
「なんだ」
「いいや、なんでもない」
そう言われると気になるだろうが、こら。
俺が不快に感じたのを察したのか、ゼロはくくっ、と笑う。
「……お前って、こんな奴だったんだな」
「は?」
「あの大怪我の時もそうだったけどさ。お前は、本来あんな風に人を守る奴じゃないだろう?」
「どういう意味だ」
「お前ってさ、俺たちと自分の身とどっちが可愛い、と言ったら、自分だ、って言うタイプだ。
俺たちが危機に陥ったりしたときは助けてくれる。
けれど、本当に命をかけるなんて事はない」
「……まあ、な」
俺は本格的な危機に陥ったら、とにかく我を張って、自分の命を守って、切り抜けるタイプだ。
友に迷惑がかかろうと、知ったこっちゃない。
世間ではそうあるべきではないのかも知れないけれど、俺はそうで、それはゼロもサリフも知っている。
「でもさ。あの時、お前は躊躇わなかったよな。
俺たちが穴に落ちそうになったら、お前はまず危ないと言って、それから助けるだろう。手を引いて、穴の上から。
エリ坊が落ちたとき、お前は危ないと言わなかった。ただ全力で走って、全身でエリ坊を庇って、エリ坊だけを穴の外に残して落ちた」
「そうだったか? どうも記憶が曖昧でな」
ただ、殿下と悪戯の仕掛けあい(俺が殆ど圧勝)をした事は覚えている。かなり面白くて、小さな敵で、小さな親友。
頭のいい子供だった。知恵があり、芯があり、演技力があった。
そして、俺の『雰囲気』に動じなかった。
それどころか、何も感じていなかった。
ソフィア殿だって怯えていたのに、エリック、そう、俺がエリックと呼んでいた殿下は、ただ『ゼロ兄ちゃんの性悪な友達』を見る目だけで俺を見ていた。
興味がわいた。
特別惹かれるものがあったわけではない。
俺には幼い頃から、面と向かった相手が自分にとってプラスになるかマイナスになるか、大体どんな性質を秘めているか、が分かることがあった。おそらく『運』の一つだろう。
どんな性質を秘めているか、という事は、サリフやゼロのような『大物』にならなければ分からない。差別するつもりはないが、やはりそういう違いはある。
まあ、『人を見る目がある』とでも考えればいいのではないだろうか。
自分に毒にも薬にもならない平凡な者にだって何も感じないことはある。
けれど、『エリック』にはそれとは違う、『何もない』なのだ。
プラスマイナスは関係なく、『無』い。
そんなのは初めてだった。ただその外見からの第一印象しかない。内面が分からない。
だから、とても興味がわいた。
それで、あちらからちょっかいをかけてきたから、かけ返した。
そして、休暇の中盤まで、悪戯の掛け合いを繰り返す事になったのである。
その間、時々普通に遊んだりはしたが。
なんだかそれが、妙に充実していた。殿下の人柄も、魅力的だった。
だからなのか、なんなのか。
俺は、騎士になろうと思った。
そうだ。俺が騎士団に入ったのは、そもそもそれが始まりだ。剣を使う職種なら何でもいいと、それまでは思っていたのに。
もしアレが本当に王子なら、騎士になって出世すれば、アレとちょっかいを掛け合えると思った。
『エリック』の下についてもいいと思った。
『お前が、とてもいい政治をするなら、そのまま、いい性格のままでいられるなら。
俺がお前を守ってやろう。お前に跪き、忠誠を誓ってやろう』
はからずとも、全く覚えていないのに果たしてしまったその約束を、殿下に告げた。
それから、殿下が穴に落ちて。
そこからは覚えていない。
おそらく、あまりにもがむしゃらだった上、怪我が酷すぎたのだろう。
俺の背中にある大きな傷跡。おそらくそれが、その時の怪我なのだ。
そして、曖昧な記憶のまま、俺は騎士団に入り。
無意識に培っていた、対殿下用の思考を用いて罠を張り。
殿下に再会した。
「お前に、こんな大切なものが出来るなんて、な」
ゼロが感慨深そうに呟く。
「……言っておくが、俺に男色の趣味はないぞ」
「分かってるよ。別次元だってのは」
誰にも従わないと思っていたお前が、エリ坊には従う、そういう関係だろ、とゼロは続ける。
「あ、そうそう。上司に不満があったら」
「法律知識はある。それでもどうにもならないのなら、お前に頼る。暇だろう、どうせ」
全く、そんなに仕事がないのか、この弁護士は。
「いや、仕事はあるんだけどさ。最近、色々あって」
憂いを含んだ笑み。
時々ゼロがするその笑みは、どうも不安をかき立てる。
「……お前は、俺の大事な友だからな」
ゼロ、お前が怪我したら心配するし、死んでしまったら心から泣く。
「分かってるよ。
俺が面食いなのが、すべていけなかったんだから」
「は?」
いきなりなんの話題に飛ぶかと思えば。
ゼロは確かに面食いで、何度か厄介なことになったことはあるが、それでここまで深刻な顔をするなんていうのは、かつて無かった事だ。
「ソフィア嬢を叩いた、ローズマリー=エイダっているだろ」
「ああ」
確かあの後、部屋にこもって鬱々としているらしい。親にもだいぶ怒られたという。
「あれ、俺の恋人なんだよ。今回のはそれでヒステリー起こしたみたいなもんでさ」
……ええと。
「病院に行くか」
「本当だから。あいつの兄貴の弁護士やってて、知り合ったんだよ」
「身分なんかくそくらえの平等主義者が何を言う」
エイダ家は差別が酷い古風な家だ。娘もしかり。大体、ソフィア殿に『平民如き』と言っていただろう。
「いやそれが、ややこしくなっちまって。恋ってそういうの関係なかったりしちゃうだろ。
でも俺っていう、平民どころか施設で育った男と付き合ってるのが、どうもいやなのかなんなのか……。
それでいつも身分の話になると喧嘩するわでな、愛憎入り乱れたぐちゃぐちゃな関係になってしまって」
具体的に想像できるような、そうでないようなややこしい事をゼロが言う。
ゼロは勿論、ローズマリーの部下ではない。
それに、エイダ家の長男は実力主義で、比較的差別もしないので、エイダ家の人々とは若干確執があるというから、ローズマリーの部下のような関係にする事はないだろう。
それでも、二人は恋人だというのか。
「……ゼロ。勘違いとか、そういうのはないだろうな。きちんと告白はしたのか」
「うん。抱いたし」
「全年齢向け小説でなんて事を言うんだ。家の中の純粋な方々とは大違いだな」
「あっはっは」
ゼロが笑う。その声は夜の闇に溶けてあっという間に消える。
「……よく分からんが、好きならそれで良い、というわけではないのだな」
「まあね」
じゃあな、と言う声に、じゃあな、と返して、俺はガランディッシュの家の玄関に向かう。
月に照らされたゼロの影が揺らいだ気がして振り向いたのだが。
ゼロは振り向かずに歩いていった。
あの憂いを含んだ微笑みを、これからもゼロ=セロは浮かべるのだろうか。
答えは分かるけれど、それでも、いつかゼロがその必要が無くなるように、俺は願うしかない。
『釣りに行こう、エリック』
エリック、とレコンは俺を呼んでいた。
殿下とか、敬称は一切無く、ただ、エリック、と。
施設の周りの豊かな自然に包まれながら、俺たちは遊んだ。
『大丈夫。ソフィア嬢も連れていってやろう』
そう言って、ソフィアも一緒にレコンは連れて行って遊んだ。
高等学校時代から、あの喋り方は変わっていなかったと、今更になって懐かしく思う。
それでも、レコンは再会したときからいつも髭はやしておっさんしてたから、分かんなかったんだよなあ。せいぜい数回しか髭そったとこ見た事なかったし。
ま、とにかく、あの幼い頃、そうして交わした約束。
『お前が、とてもいい政治をするなら、そのまま、その性格のままでいられるなら。
俺がお前を守ってやろう。お前に跪き、忠誠を誓ってやろう』
それまで何回も言葉の網に引っかけられたにも関わらず、それが真実だと俺は直感した。
俺がこの約束を果たせば、レコンは絶対に俺の騎士になる。
十歳程の頭でも、直感で分かった。自尊だったかもしれない。驕りだったかもしれない。
それでも、そう思った。
とても良い奴だと分かっていたから、それはとても嬉しかった。
それを、忘れていたというのに、レコンは俺の騎士になり、俺はレコンの主となっていた。
どこか、心の隅にいつも確かにそれはあった。
善政をするのはレコンの為だけじゃない。ソフィアに嫌われない為、というのが大半を占める。
けれど遠い日の約束は、確かに俺の記憶と心にあった。
だから。
だから、さあ。
「……せめて部屋で寝たいんだが、レコン」
「あの約束と今の状況は関係がありません。ソフィア殿への洞察力の無さをじっくり反省しなさい」
「だからそれが分かんないんだって。ソフィアが落ち込んでるのは分かったけど」
「……殿下。貴方は私がどうもいつもの態度と違ったとき、どう感じましたか」
「
なんていうか、今まで味わった吃驚とは違うというか、グラグラするというか。
ぁ、血の気も引いたなあ」
「……ああ、そうですね。種類が違いました。すみません。
もうぶっちゃけますよ、このニブチン。
ソフィア殿と話すとき、いつもの話し方で話してないでしょう。
それがソフィア殿は不快なのですよ。今更話し方を変えろとは言いません。
ですがその理由ぐらい言わないと、ソフィア殿に何時までも複雑な思いをさせる羽目になりますよ」
あ。
そういえばそうだった。ソフィアにはレコン達に対する話し方をばれないようにしてたけど、最近はうっかりしていた。
……うん。確かに反省すべきだな。
「じゃあ、俺は廊下で寝るよ」
「はい。俺は屋根裏でゆったり睡眠させていただきます」
「一言多いって言われた事あるだろ、お前」
「ええ、数え切れない程」
自慢げに胸を張るレコン。
……つっこむ気力もなんだか失せた。
エリック、と最後に呼んだのは、何時の事だったか。
ただただ、懐かしい昔。
「……エリック。エリック様。
ん、やっぱり殿下は『殿下』でいいか」
「何ぶつぶつ言ってるんだい、レコン。
君がエリック王子への呼び方を変えるなんて、なんか不自然じゃないか」
ルクスが隣で寝袋に潜り込みながらそう言ってくる。
「その通りだな」
そう言って、簡易の布団に潜り込む。
これから、下に向けての感覚を研ぎ澄ましながら、仮眠に落ちる。
この仕事は、少し辛い仕事だ。それでも、殿下の元でなら良い。給料も良いし。
「……嗚呼、俺は幸せだ」
「唐突になんだい」
「言いたくなったんだ」
「……まあいいけどね。幸せなら、それにこした事はないさ。
なにせ、ただでさえ色んな『愉快な仲間達』が傍にいるのだからね。その上幸せなら、それでいいさ」
ルクスがそう言って、すやすやと寝息を立て始める。
私にとって、ルクスが他よりもずっと大きな幸せの一因となっている事が、本人は分かっているのだろうか。
分かっていなくても、それで良いと思った。
しかし、愉快な仲間達、か。
多少語弊や意味の違いはあるけれど、言い得て妙だと思った。
約束を果たす相手。
とても良い友。
どうしようもなく、焦がれる、人。
ふとした拍子に、幸せも、色々な思いも、感じさせてくれる人達。
嗚呼、なんて愉快な仲間達なのだろう!
第五話:レコンと愉快な仲間達 おわり
第六話:ナルシストと少女(仮) に続く
よかったら感想をどうぞ。無記名でも大丈夫です。