返した本に挟んだ栞

入ってすぐ右の窓際にカウンター、そしてゆったりとした読書机に個別室、なりより圧倒的な数の本棚。
ウォルア王国の王城にある図書室は、国内有数の蔵書と利用者を誇っている。
一応国民の誰でも使えるという肩書きではあるものの、比率としては有名な学院・学園等の学生、そして貴族達の利用者が多かった。

ある日の事。
ディルカ伯の娘、フィン=ディルカは、差し出された物を見て、それを差し出した本人の顔に大きな茶の瞳を向けた。
「何、これは。何のつもり?」
「何って、栞ですよー」
間延びした声で、その青年が木製カウンターの向こうから答えた。
穏やかな碧眼がフィンの瞳を見つめ返す。
「貴方が忘れたものです」
すり切れた栞に、かろうじてディルカ伯の魚の紋章が刻まれている。確かにフィンの栞ではあった。
「あら、そう。私は本の相談をしにきたのだけれど」
「並べ方を変えたから、何処にあるか分からなかったのでしょう?」
にこりと穏やかな微笑み。それと共に、青年の琥珀色の髪が日の光を受けて輝いた。
「そんな栞の一枚や二枚の為に、わざわざこんな所にいるもんですか。
 捜そうと思っていた本は全く別のものよ。勘違いも甚だしいわ」
フィンは事実を辛辣に告げた。わざわざ栞を取っておくなど馬鹿馬鹿しい。それにこの青年にしろ、いちいちそんなチェックをするなど、面倒以外の何物でもないではないか。
しかしそれも、そうですか、ごめんなさい、とのんびりとかわし、その青年は栞を差し出した。
「まあいいわ。有り難う」
愛着はあったものだから、ため息をついて礼を言い、手を差し出す。
相手は一瞬目を見開いたが、すぐにまた穏やかに微笑んで、どういたしまして、と告げ、
「でも、どーしてそんな、ここまで使い込んだ栞を忘れられたんでしょうねー」
と続けて空気を凍り付かせる。同時に、一瞬にしてフィンの額に青筋が走った。
だがフィンが何か言うより前に、相手は先手を打った。
「はい。大切にしてるんですね。これからも大切にして下さいねー」
その一言と共に、ぎゅっと手に栞が握らされる。
手から何故か、熱が伝わるように響いてくる気がした。汗ばんでいないけれど暖かく、乾いた手触りの良い手の平。
青年の態度には手応えというものが余りないのに、その手触りは妙に実感と手応えがあった。
思いがけない感触の所為か、フィンの心臓が跳ね上がる。
「………!」
フィンが目を丸くしていると、青年はするりと手を引き、またも間延びした声で告げた。
「またのご利用をお待ちしてますー。それとこれ、お探しの本の案内図ですよー」
すっかり赤くなった顔のフィンは、急いで案内図をむしり取り、目的の本棚へと駆ける。
目当ての本を掴んでも、あの手の感触は消えない気がした。

それを手を振って見送り、青年ことルーフェル=スィルガは脇から古びた本とレポート用紙を取り出し、めくって読んでは書きつけ、度々辞書のような本を出してはめくり、また書きつけていく。
「研究員、精が出るな」
後ろで返却本を分類していた若い職員が声をかける。
「ええまあ。でも、カウンターが少し狭いかなー」
そう間延びした声で答えると、
「なら急にカウンター係なんて希望するなよ。まあ、助かってはいるけど」
職員はそれっきりで作業に戻ったらしく、本を置く音がした。
ルーフェルは先程フィンがいるはずの所へ目をやる。先程と同じく、穏やかな微笑。
「そうですね。
 ……でも、ちょっと渡したい物があったんでね……」
しかし、そう呟いた声は、間延びしてはいなかった。

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