〜旅路にて〜

How many miles to Babylon?
Three score miles and ten.
Can I get there by candle-light?
Yes, and back again.
If your heels are nimble and light,
You may get there by candle-light.

バビロンまで何マイル?
20マイルを三つ分と、10マイルを一つ分。
蝋燭をともして行けるかな?
行けるよ。そして帰ってこれる。
足が速くて軽ければ、
蝋燭ともしていけるのさ。

(……民謡? どこかで訊いた事がある……)
体を微かに揺らす振動。曖昧な意識。
心地よい微睡みの中で、そんな事をぼんやりと思った瞬間、がくん、とどこかに落ちるような感覚と共に、クリスは勢いよく現実に浮上した。
(うわっ……)
心の中で小さく声を上げる。
まだ残る浮遊感と、しかし安定した固い床と体を支える座席の感触に若干混乱したが、すぐに落ち着く。
視界に映るのは空いた座席とミニテーブル、窓の外を目に捕らえきれぬ程の早さで過ぎてゆく景色。
クリスが一人で座っているのは二人がけの座席だ。向かい合わせにも二人がけの座席。
(ああそうか、俺、魔導特急(マジックエキスプレス)に乗ってたんだっけ……)
「あ……もしや、起こしてしまいましたかな?」
穏やかな声が通路から降ってきた。
「いえ。そんな事はないですよ」
はっきりしてくる意識の中で答えながら、声の主を見る。
白髪交じりの黒髪に、穏やかそうな光をたたえた茶の瞳の男性と目があった。
おそらく五十代後半から六十代前半といった所だろう。しっかりした生地の旅装で、脇の車輪付きの台の上には長旅をしてきた事を窺わせる大きな旅行鞄が鎮座している。
「そうですか? ですが、うるさくしてしまったのではないかと思います。すみません。
 ……あの、それで、こんな事を言うのは図々しいのは承知しとるのですが……」
茶色の瞳が揺れる。一瞬それが濁ったような光を帯びる。
「はい。何でしょうか?」
「ご迷惑でなければ、相席をお願いしてもよろしいかな。
 少々事情があって、他の車両では追い払われてしまいまして……」
「……事情?」
「ええ。ペットがいるのです。少々目立ちますが、羽毛も抜けませんし音も立てません。もちろんペット用の切符も買ったのですが……それでも敬遠されまして」
「ああ、それなら……」
一旦言葉を切って、クリスは斜め前の座席を見た。
そこから睨みつけてくる黒い瞳に濃い茶髪の男と目が合う。

―――相席は駄目です。危険です。許可しちゃ駄目!

まさにそんな声が聞こえてきそうな剣幕の彼が、更に口パクで止めてくるのが見えた。
彼の言葉には従っておいた方が良いのかもしれない。
けれどクリスは極上の笑顔を作って、返事を続けた。
「いいですよ。どうぞ」
斜め前の座席の、黒い瞳がつり上がる。たまには軽く逆らうのも一興。
あとであの男がどんな顔をするのかと思うと、自然と顔が緩みそうになる。
「ありがとう」
そんなクリスの様子をよそに、男性が礼をしてクリスの正面の座席の下に荷物を下ろした。
しかしペットは見あたらない。
「……あの? ペットって言うのは?」
「ああ、この子の事です。ルゥゴ、来なさい」
男性が腕を水平にあげる。
その直後、風切り音がクリスの耳を震わせ、視界の隅を赤い何かが掠めて飛んだ。
「なっ……!?」
クリスの横を通り過ぎた赤いそれは空中で優雅にターンを決め、一回転して男性の腕に留まった。
燃えるような紅の翼と羽根。不思議な心持ちのする碧の瞳。レモン色の嘴。
鳥だった。
しかし、何か妙だ。見た事もない種類だし、しかも不思議とおとなしく、その瞳に知性すら感じる。
しかも問いかけるように主である男性を見、何故か頷きあっている。
「それでは、相席させて頂きます」
ニッコリと笑う男性。
その笑顔にどことなく見覚えがあるように思えてクリスは首を傾げかけ。
(うわあ……)
男性の向こうから、鬼の形相で睨みつけてくる男を見て、心の中で冷や汗を流す。
気まぐれに相席を許した上、その相手は妙な鳥を連れていて、しかも何だかんだと怪しい。
失敗した、とクリスは思った。

区切り

席を立ったが最後、クリスは案の定トイレの個室の中で叱られる羽目になっていた。
「……クリス様? あなた、自分の立場分かってます?」
「ハイ。分かってます」
「じゃあどうして相席なんぞするんですかねェ?」
「……エヘ」
「エヘじゃないでしょうがー! どうせ俺の反応見て楽しもうとか思ったんでしょうけどね、もし刺客だったらどうするんですこのあんぽんたん!
 今回はギリギリ安全そうですが、なんだかんだと怪しい人と相席して!」
口から気炎を吐きつつ発される怒鳴り声に、クリスは曖昧な笑みを浮かべる。
濃い茶髪に黒い瞳の男は更に文句を並べ立てるが、そんなものは華麗に右から左へスルーするのがクリスの習慣である。
「まあまあ。刺客だった時に守るのが君の仕事でしょ、ヴァイザン。
 折角いつも修行してるんだし、その腕を有効活用しようよ」
タイミングを見計らってそう告げるが、
「有効活用する機会は減らした方が良いんです!」
即座に男――護衛であるヴァイザン=ヴェスター――に怒鳴り返された。
外に響く、という文句はご丁寧にも防音の魔法を張られているので使えない。さてどうするべきかな、と考えようとするが、
「……また言い訳考えてましたねクリス様」
「………」
図星を突かれただけだった。
いつもはクリスが忠告に反する事をしても、滅多に変わった事態には陥らず、ほとんどが何事もないのでもう少しかわしようがあるのだが、今回は害はなさそうであっても『怪しい鳥を連れたおじさん』という、いつ完全に不審人物化するか分からない妙な男性と相席してしまったので、どうにもこうにも言い逃れようがない。
最早おとなしく小言を聞くしかないと腹をくくりかけたその時、個室の扉が無遠慮に開けられ、ヴァイザンが顔をしかめた。
「ヴァルフリート…! ノックぐらいしろ」
「ああ、ごめんごめん。忘れてた」
黒髪に碧の瞳を持つ、左目を眼帯で覆った男が入ってきて、悪びれなく唇の端を上げクリスに会釈する。
「礼儀がなってないぞ、全く……。お前それでよく城勤めができてたな」
「うわぁ、酷い。俺もそう思うけど」
ヴァルフリートと呼ばれた青年はとぼけた調子で答え、あはは、と軽く笑う。
「それで? 何の用だ」
「いやあ、なんか楽しそうにやってるなあと思って」
「……で、クリス様をかばいに来た、と」
「うん」
「……いい加減にしろ! お前はクリス様に拾われた恩義があるから甘いがな、この方はこういう時にきっちり説教し尽くしておくべきなんだ!」
「いやあ、それは俺もそう思うけどさあ」
「ならどうして邪魔をする」
ヴァルフリートはひょうきんに肩をすくめると、個室から一歩出て、窓の付いたドアで遮られたトイレの向うを軽く顎で示す。
どうしたのだろうか、とクリスもヴァイザンと共に個室から出て、そちらを見る。
そして、思わず固まった。
「……まあ早い話、さすがに二回もお説教っていうのはお互い疲れるだろうと思ってさ」
三人の視線の先、私服の護衛たちに囲まれた空席。
その横に一人、若い男性が立っていて、鳥を連れた男性と話している。
そして二人して、ちらちらとトイレの方を見たりして。

……相席希望者、追加。




「え、いいんですか? どうも有り難うございます」
色素の抜けたような薄い茶色の髪の青年が、丁寧に礼をして席に座る。
その仕草も実に礼儀正しく、穏やかな相貌は知性に満ちている。しかも美形だ。
だが、スタイルの良い体からのぞく腕には無駄なく筋肉が付いており、身のこなしからも体つきはいいであろうことがうかがえる。
持っている鞄は旅行用の大型バッグではあるものの、着ているものは確実に防御付加魔法のかかった特殊製のジャケットと丈夫そうなデニムのズボン、しかも腰にはジャケットに隠すようにレイス一本と謎の色つきガラスの筒が五、六本。
怪しい。ものすごく怪しい。冒険者か賞金稼ぎ、はたまた裏稼業か。
とりあえず素人さんではない。
だというのに、ぱっと見では普通の礼儀正しい好青年に見えたので、うっかりクリスは相席の許可を出してしまったのだ。
「助かりました。この通り物騒な格好をしているものですから、警戒されてしまいまして……」
しかも自覚ありだということを座り際にさりげなく示し、かつ瞳で無言の圧迫をかけてくるという非常に器用なことをする。
(ああぁぁぁあぁぁ……)
痛い。ヴァイザンの視線が痛い。ちくちくと首筋に刺さるようだ。
クリスは身を竦めそうになりつつも、へえそうなんですか、と笑顔で返す。
「………」
「………」
しかしそれに返される返事はなく、不意に二人が黙ってクリスの顔を見つめた。
「あ、あの……?」
「……いや、何でもないです。
 なんか、すみません」
「あ、俺も。ごめんなさい」
「? いや、別に大丈夫ですよ。元々四つも席取ってたのは俺だし」
いきなり謝られて困惑しながらそう返すと、そうですかありがとうございます、と二人して礼を言う。
(そんなに気を使ってもらわなくてもいいのに。礼儀のいい人たちだなあ)
クリスはそう思いながら、ヴァイザンの視線から隠れるように座席に深く座りなおした。
何かを思いついたように、若い男性がぱん、と手を打つ。
「あ、そうだ―――自己紹介してもいいですか?
 まだウィルードまでは時間かかりそうだし、袖すり合うも多生の縁っていいますし、少し話とかどうです?」
「あ、いいですね」
中年の男性が身を乗り出す。クリスはとりあえず反対しないことにした。
「じゃあ、僕から。
 ウィリアム=ハルヴォです。出身は南部、職業は第一級賞金稼ぎです」
茶の髪を揺らし、若い男性が優雅に微笑む。
だが、一介の賞金稼ぎにしてはやけに品があるし、所作も正しい北部式のものだ。しかも発音だって明らかに南部の下町出ではない。
北部、さらには王城近くに屋敷を持つ貴族出身の賞金稼ぎ。そんなところだろうとクリスは見当をつける。
「ジン=ライザン。出身は南部でも北部でもなく、クリファン大陸ウイント王国。職業はしがない雑貨屋です。こっちはペットのルゥゴ=ルゥリ」
雷山 刃、とメモを出して記しながら中年の男性――ジンがわずかに腰を浮かせて会釈する。赤い鳥も頭を動かして、礼。
そして残りは。
「……クリス=ウィードです。職業は公務員です」
クリスはいつもの偽名を使い、わずかに腰を浮かせて会釈した。



そしてそれから、目的地である首都・ウィルードが大分近づいてきた頃。
「へー。ほー。ふーん。公務員、ですか」
「いやだってほら、一応そうじゃんか」
「ええそうですね、一応の機転を利かせたのは認めましょう。
 で・す・が、どうしてそこまで警戒したのにあそこまで無邪気に盛り上がれるのですか!」
……またもトイレの個室の中で、クリスは説教の続きを受けていた。
「だってすっごい楽しかったんだよぉ。なんか二人ともいい感じでさー」
そう。
あの後、クリスとほか二人の話はかなり弾んでしまったのである。
ウィリアム=ハルヴォは自身の醸し出す雰囲気を裏切ることなく知的で気さくで機転もきくし、ジン=ライザンは年が離れていてかつ鳥を連れている他はウィットとユーモアに富む人物だった。
ジンのクリファン大陸の話を好奇心のままに聞き、ウィリアムの笑い話に腹を抱え、クリスの少し真面目な話で話し込む。脱線しても面白い。
要するに、なんだかんだと盛り上がってしまったのだった。
「………」
はー、とため息を吐くヴァイザンに、説教を続けるとみてクリスは心の中で身構える。
「……まあいいです。戻りなさい。カンが良いのが一人いますからね。気づかれないようにしておきましょう」
「へ? いいの?」
拍子抜けしたクリスをトイレから出し、ヴァイザンはまたため息を吐く。
「ウィリアム=ハルヴォとは知り合いです。信用はまあまあできる男ですし、戻っていいですよ。
 あなただって殺気ぐらいは分るんですしね。大丈夫でしょう」
「知り合いぃ?」
「そうです」
「……なんだそりゃ。賞金稼ぎとどこで知り合うんだ?」
待機していたヴァルフリートが首をかしげた。クリスも首を縦に振って同意する。
「五年前、見聞を広めるために旅行に出た、その先ですね。
 二人組の殺人犯のうち一人を偶然捕まえたところ、もう一人が私を狙ってきまして。
 必然的に、その殺人犯を追っていた彼とその相棒と知り合うことになったのです」
「ああ、あれ? あの全治一か月の怪我負って帰ってきたやつ」
「はい」
定期的に来ていた手紙が途絶えて心配していたら、『近くの病院に転院しました。退院した後帰ります』という手紙がきてかなりびっくりした一件を思い出し、クリスはのぞき窓からウィリアムを見やる。
「じゃあ、あいつが助けてくれたの」
「いえ。殺人犯が捕まって狙われる危険はなくなりましたが、囮にされて負わなくてもいい怪我を負いました」
「………」
それちょっとどうだろう、とクリスは思った。



それでも、魔導特急がウィルードに到着するまでの間、会話は弾んだ。
いつの間にか三人はため口になっていたが、誰も気にしなかった。

「っと」
特急から降車し、改札から出た三人のうち、ウィリアムの足と体だけが別の方向を向いた。
「あ、ちょっと方向違う?」
「うん、そうみたい。
 じゃあここで僕はお別れかな」
ウィリアムが残念そうに微笑む。
「あ、そう? もう少し話したかったなあ」
少し気落ちしてクリスが言った言葉に、
「私もだ」
ジンも頷く。
「うん――僕もそうだけれど、待ち合わせてる相棒がいるから」
ウィリアムはそう言って一歩踏み出して二人から間をとり、進行方向に目をやる。
「そっか。
 じゃあ、また。会えることを願ってる」
「そうだな。じゃあな」
二人の別れの言葉に振り向き、ウィリアムはいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「僕もまた会えるのを願ってるよ、クリスヴァルド=ウォルア=ウィルクサード王兄子様。ヴァイザンにもよろしく。
 ライザンさんも、できれば、また」
「えっ――」
ばれてたのか。
驚愕に目を見開いたクリスを見て、ウィリアムはにっこりと笑うと、そのまま進むべき方向へと足を向け、振り返ることなく歩いて行った。
「へえ……、クリスヴァルドというのか」
「えっ!?」
「君の本名。私だって伊達に……五十年も生きてるわけじゃない。
 あれが偽名ということぐらいわかるぞ。あれだけの腕の立ちそうな護衛を引き連れてたのだからな」
それに同意するように、ジンの肩のルゥゴが鳴き声をあげる。
「うっ、嘘ぉ」
「まあお互い様だろう。私も名前をわざと省略したのだし」
「え?」
すたすたと歩き出すジンに、もうばれたのなら構わないとばかりに姿を現したヴァイザンを伴ってクリスはついて行く。
「実はジン=ライザンの後に、もうひとつ苗字がつくんだ」
歩いてゆく方向の先には、ウィルードの中心であり、街の中で一番分かりやすい建物。
そして、クリスの従弟である、くすんだ金髪に青と茶の瞳を持つ少年が住む所。
「私の名前は、正確にはジン=ライザン=フェイルヤード。聞き覚えがあるだろう?」
迷いなく王城を目指しながら、ジンはクリスに微笑んでみせた。



そして、歯車は廻り出す。
本人たちも、知らないうちに。

区切り

序 おわり
第1話:訪問者 に続く
※冒頭のマザーグースは http://www2u.biglobe.ne.jp/~torisan/ を参照しました。

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