水玉。
リクエスト話・二人の料理
水玉。

小麦粉を軽く炒め、水を入れて煮る。
ラエはそれを注意深く調理しながら、スパゲティをゆでるウリエルを見た。
流れるような手つきは美しく、たとえ片手でもこの作業に手慣れている事を示していた。
隣にはきっちりザルとボウルが置いてある。
しかし、左手には包帯。
どうも花のうち一つに刺されたらしい。イェンはその花を『食う』植物だと言っていたので、多分食虫植物だろう。
だから、かき混ぜる事しか出来ず、ラエに助けを求めてきた。
今日は「絶対にクリームソース系を食べる」気分だという。駄目だ、と言ったら、喧嘩した時を思い出したのかとても落ち込んだ顔をして、止める、と言った。
あの美しい顔で、頼りなさげな顔をされて、そんな悲しそうな言葉をはかれて、断れる人間がいるだろうか。
それに本来これは家政婦であるラエの仕事である。ウリエルの厚意に甘えて、交代制としているだけだ。
イェンはウリエルがドジをしただけだ、と言って食堂でのんびりくつろいでいる。
それも別に責めるべきものではない。
いっそのことウリエルもゆっくりすれば、と勧めたが、手伝うと言って聞かないのだ。
「ラエ。ゆであがり」
静かにコンロの火を消してウリエルが告げた。
「あ、はいはい」
ラエも出来上がったクリームソースの火を止めて、スパゲティの入った小型の寸胴を持ち上げる。
慎重に、慎重に。
ウリエルが流しの上に金網を置き、その上に更にザルを置く。
そして、湯がスパゲティごとザルに注がれた、その時だった。
「おお、いい匂いだの。我はもう腹が減ってたまらん……」
イェンがいきなり入ってきて、台所のフローリングの床に軽く敷いてあるだけの敷物を踏みつけ、
「うお!?」
見事に滑った。
同じ敷物の上にいたラエも巻き添えで。
ラエがひっくり返ると同時に、寸胴もひっくり返る。
それと同時に、素晴らしい反射神経の賜物か、ウリエルはラエをとっさに突き飛ばし、湯を被った。
びしゃり、と床に湯が僅かにこぼれて湯気が立つ。
「ウリエル!」
ラエが真っ青になりながら起き上がると、撒き散らされかかった寸胴の湯が、時が止まったかのように、ウリエルにかかる寸前で制止している。
ただし、一番寸胴に近かったと思われるウリエルの手には、もろに湯がかかっていた。
傷を覆っていた包帯が濡れ、なんだかシューと痛そうな音を上げて湯気がのぼる。
「ラエ。格好悪いけど、泣く」
そう言うウリエルの目には、もう既に激痛による涙が溢れそうになっていた。

その直後、ラエは初めてウリエルの悲鳴を聞いた。

 *

結局イェンに夕食を作らせ、ウリエルは食堂で、ラエには到底理解出来なさそうな長い回復呪文を丹念に唱えて、火傷の方を治していた。
「……ごめん、ウリエル」
ラエが小さく呟くと、ウリエルはその呪文を一旦切って、ラエの頭に手を置こうとしたが、皮膚が気持ち悪い状態なので手を引いた。
「いい子。……謝らないでいいよ、ラエの責任じゃない」
手もかなり痛いだろうに、ウリエルが微笑むのを見て、ラエは涙が出そうになった。
そうだ、謝るのではない。
「ありがとう」
そう言うと、ウリエルは、本当にいい子、と慈しむようにさらに綺麗に微笑んだ。

 *

火傷を治し、看病するというラエを寝付かせ、ウリエルは自室に戻った。
ベッドに飛び乗ると、スプリングがきいていて、心地良くベッドが軋む。
「すまなかったな、ウリエル」
イェンが現れて謝罪した。
「うん」
「………」
ラエの時とは全く違う対応をすると、イェンはため息をつく。
ラエが寸胴をひっくり返してウリエルに湯をかけたとしてもラエを許しただろうが、恋愛感情も無く、ただ長い間家と住人であり、友人であるだけのこの『家』に遠慮する理由はない。
「聞きたい事がある。あれしきの花に刺された傷なんぞ、お前には十分かそこらで直せるものではないか?」
「うん。でも、ラエと一緒に料理してみたかったし、回復魔法はなるべく使わない方が良いもの」
ウリエルは悪びれなく答える。
回復魔法は、薬と同じ様なものだ。やりすぎると効かなくなる。
それは事実だが、ラエが来る前はイェンが料理をしない、といった時などには平気で使っていた。元々の回復能力だって尋常でなかったし。今日寝れば、手の傷は自然に完治するぐらいには。
イェンがまたため息をついた。大方、この男はなんていう神経をしているんだ、などと心の中で文句をたれているのだろう。
「まあいいや。風呂入って寝る。イェンも寝たらいい」
そう言ってウリエルは身を起こした。

 *

翌朝ラエが起きて台所に行くと、ひょいっとウリエルが目玉焼きを器用にひっくり返した所だった。
「ウリエル、もう傷は大丈夫なの?」
「うん」
ウリエルが皿に目玉焼きを置く。手を見ても、怪我は跡形もなかった。
「手伝って、ラエ」
ラエが指し示された方を向くと、野菜とまな板が置いてあった。
サラダを作るという事だろう。
「ドレッシングは何にする?」
ラエは野菜を切り刻みながら問う。
「酸っぱいの」
ウリエルが卵を割りながら答える。
ふっとラエは気が付いた。
「ウリエル。昨日が初めて、二人で料理した時になるわね」
ぴくりとウリエルの耳が動く。
「うん」
卵は見事に焼け出している。美味しい出来になるだろう。
ラエはドレッシング用の油を手に取って、大さじでそれをはかり取った。